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2022年について

動画制作業ですが、2022年は全体的に停滞していました。21年は運用やマネジメントがメインだったのが、22年は不景気のあおりで自分で手を動かさざるを得なくなり、非常にコスパの悪い1年でした。

運用やマネジメントができることは、クライアントや会社からリソースを「前借り」できている状態だといえます。予算以上の金額が目の前にあるようなもので、それをコントロールできることに手応えを感じ、成功と失敗を積み重ね、可視化された成果をもとに報酬が得られる。

改めて自分のキャリアの軸を見直すと「会社を利用できなくなった」から不満が溜まったり、転職に至るケースがあることに気づきました。営業やコミュニケーション力で仕事を探すのがあまり得意ではないので、なるべく最初からリソースが大きいポジションで仕事をしたい。

テレビ東京の高橋弘樹プロデューサーが「テレ東はATM」と表現しているのがとても核心的です。

結論から言うと、僕は会社を辞める気はありません。佐久間さんも上出もバカなんじゃないか(笑)、なんで辞めるのかなと思っています。(中略)
自分の中では、テレ東にいると体感年収3億~4億円なんですよね。(中略)テレ東を完全にATMだと思っています。年間数億円引き出せるATMがあって、自由に映像で表現し、そこで表現できないものは副業で本を書く。表現が効用の源である以上、仕事でお金を使おうが、私生活でお金を使おうが、あまり効用に差はないんで、これで満たされます。

https://pivotmedia.co.jp/article/5334

しかし、そのような環境を手に入れられるのはほんの一部。キー局や大手代理店の社員ディレクターやプロデューサーの採用は、中途ではめったにありません。あっても相当ハードルが高い。

お正月にNHK『あたらしいテレビ』で、若手ディレクターの座談会がありました。内容はともかく、仕方がないけど違和感があったのが全員「キー局」だったこと。

自分はテレビ制作会社の出身なので、局に企画を通し、放送枠を確保し、予算やキャスティングを実現させるハードルの高さを理解しています。

下請け的なポジションでこなした方が楽かもしれないが、それに争いながら、YouTubeではなくテレビにこだわる、しかし局員でない作り手の声も聞いてみたい。


とはいえ、そんな特権の中でも息苦しさを感じる作り手も少なくなく、退社・移籍のニュースも目立ちました。フリーランスやタレント以外の選択肢と、知名度やノウハウが欲しい新規メディアとのニーズが一致したということでしょうか。


以前「中間のメディア」構想について書きましたが、このような人材移動の流れはそれに向かってるのかもしれないし、「作りたいものが作れて生活が営める」ポジションが、もっと増えてほしいと思っています。

動画を手段とする場合、テレビよりも参入障壁が小さく、YouTubeよりも簡単に、独自に収益化でき、それなりに視聴者を集められる「中間のメディア」がない。
テレビは広告主に都合が良く、YouTubeなどの動画配信サービスは視聴者に都合が良いようにラインナップされ、どちらもマスのニーズに寄ってしまう。中間のメディアとは、雑誌や本屋のような、作り手や売り手の思想で編集されたコンテンツが集まる場をイメージしています。

https://note.com/akihidep/n/n8fc98e1a9a16


2022年は「資本主義め…」って感じの1年でしたが、今年の目標は「なるべく手を動かさない」ことです。

手でやる仕事に従事する者が、責任ある職についたためしはない。(中略)その大部分の者は一日中座っていなければならず、若干のものはたえず火の試練を受けねばならぬところから、必ずや身体をそこなうであろう。で、精神がそこから影響を蒙らずにいることはむずかしい。

『怠ける権利』ポール・ラファルグ


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