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オリンパス PEN-Fの思い出

古いアルバムを整理していたら、妙なネガが出てきた。そのネガだけが他のネガと比べて写っているコマが異常に多い。

よく見たら、36枚写っているはずものに72枚写っていた。写っている映像は街のスナップやら花やらどこかの建物など凡庸なものばかりだが、さすがに72枚の映像を一挙に見ると凄みがある。

私はその一コマ一コマを見ながら、しだいにそれらが「オリンパスPEN-F」で撮影されたものであることを思い出した。

オリンパスPEN-F」と聞くと、最新のデジタルカメラを思い浮かべる人も多いだろう。たしかにPENは若い人(※特にカメラ女子)から圧倒的な支持されている人気ミラーレス一眼だ。

だが、私の使っていた「オリンパスPEN-F」は1963年に生み出された金属製の機械式カメラだった。発売当初はハーフサイズ(1コマに2枚写る)でありながら、一眼レフ(レンズ交換式)として使えることで、大変な人気があったそうだ。

私はこのカメラをまだデジタルとしてPENが復活する前の2007年頃から使い始めていた。さまざまな場所に出かけて撮影することが多かった私には、とにかく通常の一眼レフよりも圧倒的に軽く小型のカメラが必要だった。私はすぐに銀座のレモン社に出かけて、中古の「オリンパスPEN-F」を買った。値段は1万4千円ほどだった。38mmのズイコーレンズも付いていたので、当時としてはかなり安い買い物だったと思う。

実際に使って見ると、初代「オリンパスPEN-F」というのは恐ろしいほどに使いづらいカメラだった。シャッターの巻き上げは2回行う必要があり、露出計(光を測ってくれる装置)は内蔵されていない。おまけに金属製のボディはずっしりと重く、長時間歩いていると、肩が痛くなった。写りも一眼というレベルではなく、比較的新しいコンパクトカメラの方がよく写るように思えた。平成に入ってからほとんど使う人がいなくなったのも当然だと私は思った。

しかし、「オリンパスPEN-F」での撮影はとにかく楽しかった。一コマに2枚撮れるからだろうか。不思議にシャッターを思い切ってきれるのである。私はさまざまな場所を訪れて、目に留まったものをどんどん撮っていった。新宿、汐留、渋谷、銀座、お台場・・・・・・。私は都内を駆け巡るように出かけて撮影していった。光の計算などはもはやどうでもいい問題だった。「撮る」ことが楽しかった私は撮影後にどんな写真が出来上がってくるかなど全く考えずに撮影し続けた。

今から考えると、そういう「撮る」ことそのものの楽しみを感じられるようになったのは、ペンを使い出してからだったと思う。写真をやっていない人にはいまいちピンとこない話かもしれないが、ファインダーからのぞく世界は現実の世界とは少し違っている。見えるものが限られているから、逆にモノがよく見えるようになるのだ。その見えるようになったものは、ほんの少しばかり角度を変えてやるだけで驚くほど新鮮なものになりうる。

本当は現実の世界でも私たちはそうした瞬間を目にしている。毎日何気ない風景の中で、かけがえのないモノに何度も何度も出会っているのだ。だが、残念なことに私たちはその瞬間を見逃してしまう。今日を慌ただしく過ごしているうちに、いつの間にか昨日と変わらない1日を過ごしてしまう。

ファインダーからのぞいた世界にはそうした日々私たちが取りこぼしてきた一瞬一瞬が写っている。それを撮るということはこぼれ落ちたかけがえのないものを一つ一つ拾うことでもあるのだ。

「オリンパスPEN-F」はそれから2年ほど使い続け後、とうとう動かなくなってしまった。ちょうど三鷹に出かけて太宰やら森鴎外やらの墓を撮影した帰りだったと思う。神社で撮影している途中でシャッターが切れなくなった。新宿の中古カメラに立ち寄って修理を頼んだら「ハーフカメラは無理」と言われ、それ以降使うことはなかった。

さて、それから数年後、私は再び「オリンパスPEN-F」で撮影された写真と対面することになる。最新のスキャナーと高度なデジタル処理が可能な編集ソフトによって当時は難しかったカラー写真も鮮やかに蘇る。

その映像は最新のデジタルカメラで撮られた写真には到底及ばないものばかりだ。ピントもどこかはっきりせず、微妙にぼやけている。色も現実のままに正確に写し撮っているとはいい難い。

だが、不思議と何か味わい深いものを感じる。うまく言葉では言い表せないが、たしにかにそれは現代カメラにはない何かであった。

私はその映像の一コマ一コマを見ながらつくづくと思い知った。

最新のカメラだからといって、いい写真が撮れるわけではない。最新の技術を駆使してもなお写すことができない「何か」があるのだ。

オリンパスPEN-F」で撮られた写真はそのことを雄弁に物語っている。



これが元祖「オリンパス PEN F」

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