誰もいないグラウンドで
そのとき私はかつて通っていた中学校のグラウンドにいた。ちょうど夏休みに入った頃で生徒たちはいない。グラウンドは妙にがらんとして静かだ。風が木々を揺らす音しか聞こえない。
私は校舎の前に置かれている踏み台(先生たちが集会などで使うもの)の上に座って、しんと静まりかえったグランドをぼんやりと眺めていた。
卒業してもう何年になるだろうか。
私は高校を卒業してからすぐにこの街を離れ、そして今まで帰ってくることはなかった。だから当時ここで共に過ごした人とも音信はない。おそらく皆どこかで働き、誰かと結婚をし、子供もいることだろう。私のように結婚もせずに宙ぶらりんのまま過ごしている人はいないのかもしれない。
私の生まれ育ったところは田舎にある小さな温泉町だった。小さなお店がまばらに立ち並び、大きな建物などはほとんどない。町の中央には河が流れ、その流れに沿って歩いていくと海に出られる。その付近になってようやくここが町であることを思い出せるように大きなホテルがずらりと立ち並んでいるのだった。
私の中学校はそんな町のさらに人気のない丘の上にあった。なだらかな坂道を20分~30分ほど歩いて、ようやくたどり着けるような場所だ。周囲は新興住宅地で、ほとんど人も歩いていない。ときどき車が数台通りかかるだけだ。私はそんな中学校へと毎朝せっせと歩いて通っていたのだった。
校舎の茶色い壁は昔のままだった。少し色あせたものの、コンクリートでできた3階建ての校舎はまだまだ現役で使えそうだ。あの頃と同じようにここでは多くの生徒たちが当たり前のように学校生活を過ごしているのだろう。
目を閉じれば、当時の友たちの顔が浮かんでくる。彼らはあの頃の変わらない笑顔で私に語りかけてくる。
「よう、元気か?」
「久しぶり」
夏休みが終わった後、久しぶりに会う友の顔は明るかった。しばらく会わなかったせいか、会話はいつも以上にはずむ。野球部やサッカー部に入部している友たちは日焼けして真っ黒になっていた。
中学校時代で最も楽しかったのは最初の一年目だったと思う。まだ最初の1年目ということで、勉強も部活もそれほど大変ではなかった。先生たちも私たちの幼さを知っていたのかそれほど厳しくなくはなかった。
それがどうしてだろうか。中学2年頃になると、しだいに勉強も部活も大変になる。1年目に容赦していた先生たちも、規則違反や生活態度に目を見張るようになった。クラス変えがあって、1年目に仲の良かった友はもういない。私にとって学校生活は息苦しいものへと変わってしまっていた。
それから私はどんどん勉強にもスポーツにも興味を見いだせなくなっていった。皆が何かに打ち込み、青春を謳歌しているときに、私は何もかもが嫌になってしまったのだった。
私は友人たちと毎朝いっしょに学校に通うのをやめ、部活をやめ、塾にも通わなくなった。そして、一人漠然と「何か」について悩んでいた。心理学的にいえば、それは「自我の芽生え」ということになるだろう。だが、当時の私にはもちろんそんな知識はない。だから、自分が何に対して悩んでいるのかさえ分からず、ひたすら悩み続けていた。
私は自らに問いかける言葉を持っていなかった。何をすべきか考える術も、そのヒントなる何かも持ち合わせていなかった。小さな田舎町に住む私には自分の求めるすべてが欠けていた。
今、こうして振り返ってみると、その答えは私がこの街から出て行った後に少しずつ明らかになったのだと思う。それは思いがけない出会いがきっかけとなって芽を出し、そして幾度となく捕まえたと思った自分自身を否定することで明らかになっていった。
当時の私には想像さえつかなかっただろう。あのときどうしても出せなかった答えを携えて、私がこうして何十年後かにここに戻ってくるということを。
私はそっとあの時まで時計の針を戻したくなる誘惑に駆られる。そして息苦しいほどの狭い世界で悶々と悩み続けるかつての私に、そっと答えを囁いてやりたくなる。
「君が今求めていることはこうすることで得られるだろう。」
もし当時の私はそれ聞いたら、素直に信じることができただろうか。おそらく私は困惑してしまっていただろう。その口から語られる不可解な言葉の連なりが何を意味しているのか、うまく飲み込めなかったに違いない。
私が何者であるのかは、やはり私自身が実際に歩んでみなければ分からない。どれだけ今の私が懸命に教えたところで何も伝わりはしないのだ。
ふいに校舎から楽器の音が聞こえてきた。どうやら吹奏学部の生徒たちが練習を始めたようだった。
私は腰掛けていた踏み台から飛び降りて、周囲の風景を撮影し始めた。今日、ここに来たのはこの場所を撮影するためだった。私はさまざまな角度で校舎を撮り、グランドを撮影した。レンズは広角28mm。この広々としたグラウンドを撮るには最適のはずだった。
だが、私の予想に反して、それはいささか広角すぎた。どのアングルから撮っても、なんだか凡庸な風景にしか映らなかった。バッグが重くなるので他のレンズは持ってきていない。私はグラウンドにころがっているボールを何枚か撮影した後、もうすっかり諦めきって、最後にベンチの隙間から顔を出している小さな花を撮った。
それは部員たちが訪れない間、すくすくと成長を続ける名もなき野草だった。
<使用カメラ>
最高シャッタースピード1/4000秒を実現したNikonの傑作カメラ「Nikon FM2」
<おすすめアイテム>
アナログっぽさがたまらない?! 人気急上昇のデジタルトイカメラ まとめ
デジカメより断然おもしろい?! アナログトイカメラ LOMOの世界
☪ エッセイ 一覧
☪ コラム一覧
☪ ネットを活用して働く人をサポートする クラウドサポーターズ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?