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星とチャクラと生きづらさと私 ⑲ (コミュニケーションにおける本音)

こちらで、コミュニケーションにおける高度なスキルを求めていたけれど、実は「傾聴の姿勢」が大事なんじゃないかと氣づいたことを書きました。

今回はそこに至った経験をお話しさせてください。

過去にこんなことを書いています。

仲間内でのグループチャット内で私が発した言葉にみんなが一氣に反応したことで、私の中のトラウマが発動し、恐怖が強く出てしまったことがありました。

一時的に不安定な状態になりました。

息苦しくなり、みんなが色々言ってくれるけど、受け取れずパニックになりました。


幼少期の経験から怒られることへの強い恐怖があり、私自身が発した言葉がきっかけではありますが、「怒らせてしまった」「怒られた」などの強い恐怖が表に出てきてしまいました。

記憶にはないけど、親に怒られ、外に出され、恐くて過呼吸になったらしい。
と聞いています。

何度この話をしても記憶には上がってきませんが、怒られることへのとてつもない恐怖は沸いてきます。

久しぶりに感じた強い恐怖に身動きできなくなりました。


「辛いと思うので私のこと友達削除してくれていいですからね」と言ってくださる方
「わかるよ~私もね」と自分の話を始める方
例え話を交えながら「今○○な状態なのかもね」と分析してくださる方

色々でした。


その時、そのグループの誰ともコミュニケーションは取れていなかったように思います。
私自身も受け取る余裕がありませんでした。


何となく、「私が求めているものと違う」
という氣持ちになりました。

聞いてもらえていない感じ。

そういうことじゃなくない?
と言いたくなる感じ。

『私が欲しい言葉は何?』
と自分に問い続けました。


唯一お一方、少し時間を置いてから、「私でよければお話し聞きますよ」とメッセージをくださり、その方にボロボロ泣きながら話を聞いてもらったことがあります。

ホッとしました。

結局、私の本音は
『もっと私の話を聞いて?』
『私に関心を持ってよ?』
『大丈夫?って慰めてよ』

でした。

つまりは、私に意識を向け、私に寄り添って欲しかったのですね。

向き合ってきたつもりだったけど、
「また怒られたらどうしよう」
「また嫌われるかもしれない」

などの前提が私の中に残っていて、そこと向き合うための流れだったんだろうとは思います。

正確には、本音にたどり着けるほど、私の内観が成熟していなくて、それまで向き合ってきた部分は、その本音にたどり着くための序章に過ぎなかったのです。


「また」怒られるかも。
「また」嫌われるかも。
と心の中で思っているから、現実化しました。


この件をきっかけにそうした自分の前提にようやく氣づくことができました。

そして、
「怒られたらどうしよう」
「嫌われたらどうしよう」
と思ってきたけど、
「怒られたい」んじゃない
「嫌われたい」んじゃない

「もっと私に関心を持って欲しい」
「もっと私の話を聞いて欲しい」

という本音にたどり着くことができました。


こうした氣持ちは、私だけの願望ではないような氣もしています。

インナーチャイルドを抱えるたくさんの人の集合無意識でもあり、
地球の集合無意識でもあるのではないかな。
なんて思ったりもしています。


誰しもが、
「もっと私に関心を持って欲しい」
「私の話を聞いて欲しい」
と思っているのではないでしょうか。



私はこの件を通して自分の本音に氣づき、
「怒られるかも」
「嫌われるかも」
という前提を手放すことができました。


そして、「自分自身の話を聞くこと」、「私に寄り添うこと」を人様に求めていた。
と氣づくこともできました。

依存的だったのです。

私自身が私の話をじっくり聞く姿勢でいない(自分では聞いていたつもりでしたが)のに、それを人に求めても、聞いてもらえなくて当然だ。

と氣づくことができました。

それからは、「嫌われないように」ではなく「嫌われてもいい」から、自分のやりたいことをやろう。と思って動けるようになりました。



そして、それは星にも現れていて、メンバーみんなそれぞれに持っていた星が違うので、反応の出方が違って当然なのでした。

私の求めるものを汲むことが苦手な星の人たちの集まりでした。

私に声をかけてくださった方は、同じ質を持った方でしたから、何となく私の欲しい言葉をかけてくださることができたのでしょう。


そうした産まれ持った資質によっても、関わり方が違うんだ。
と知ることができた事例でもありました。

そうした違いは、それぞれの魅力でもあり、すれ違いを生む原因にもなりえる。と知ることができました。

だからどうしても、コミュニケーション不足や、コミュニケーションの行き違いが生まれてしまうのだとわかりました。


じっくり人の話に耳を傾ける。
なんてことは、そう簡単にはいかないものです。

忙しいのでね。

もっとじっくり聞きたいけど、それどころじゃない。
というのが本音でしょう。


そうして『自分の声』すらもじっくり聞けずにいるから、行き詰まる時が出てくるのかなと思います。

人は、いずれ自分とゆっくり対話する流れになっていきます。

でもその時間は苦しくとも、自分との丁寧な対話ができるようになっていくと、自分の話も、人様の話も聞けるようになっていくものかなと思います。

自分を大切にしたいと思う氣持ちから、自分の意見を述べられるようにもなっていくかなと思います。

それは、自分との対話を経て、自分の意見を飲み込むことは自分への愛ではない。と氣づけるようになるから。


上手に話せなくてもいい。
人と話すことが苦手なままでいい。

私は自分にそんな風に許可を出せるようになりました。

だから、未だに雑談は苦手だし、友達も少ないですが、ずっと楽になりました。


自分にウソのない会話を心がけたいものです。

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