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孤独こそ友だち、と教えてくれた本

高校2年生のときだった。塾で机を並べていた男の子が、辻仁成の処女作「ピアニシモ」をくれた(その男の子は5冊以上手元に持っていてプレゼントしてくれた)ことがきっかけで、私は辻さんの世界観にドハマリすることになった。


惹かれたのは、その言葉のチョイスであり、リズムだった。静かな文章の中にリズムと疾走感がある小説は、すごく読みやすかったし、心地よかった。逆に音楽はリズムと疾走感の中に静謐で心の奥深くをつかれるような歌詞表現が見事にはまっていて、聴けば聴くほど魂を揺さぶられた。


当時、私は人生の転機を迎えようとしていた。小さい頃からひと目を気にし、人の評価を気にし、承認してもらいたいと願うばかりだった自分に疲れていたのだと思う。急激に内側に向かい始めた。成長過程としては遅いほうだと思うが、この時期に初めて、命や魂のことなど考えだした。この広大の宇宙の中で自分という存在のあまりのちっぽけさに怖くなって、授業に出られなくなって、図書館に逃げ込んだこともあった。担任から呼び出されて「どうしたんだ?」と言われても、うまく説明できず、ただ涙を流すしかなかった。人に話してもきっと分かったもらえないと思っていた。



「ガラスの天井」(1992年)という辻さんの初エッセイ集を手にしたのはそんなときだった。帯には「ぼくたちには孤独が必要だ」という一文。私は内側に向かいつつも、一人でいることで「友だちがいない可哀想な子」と思われたらどうしようと、心のどこかで怯えていたのだと思う。「孤独が必要」という言葉がズドンと目に入ってきた。


noteで「#人生を変えた一冊」というお題を目にしたとき、まずこの本が浮かび、数十年ぶりに読み返してみたら、驚くほど内容や言い回しになじみがあった。それほどに何度も何度も、何度も読み返していたのだろう。


その一つ「いかにして孤独を得るか?」というエッセイにこんな文章がある。


「孤独とは、自分と戯れることである。自分と遊ぶことであり、また、自分と対話することでもある。自分を発見する場でもあり、自分をなぐさめる行為でもある。自分を強くしたい人は、まず孤独になるべきであり、自分をやさしくさせたい人は、孤独の中に浸ってみるべきだろう。孤独こそは、自分という不可解な存在への最初の入口なのである。」
「孤独を知っている人は、他人の中へ入っても、自分をなくすことはなく、相手をまた認めることもできる。逆に孤独を恐れる人は、必要以上に他人を求めてしまい、自らのアイデンティティを喪失してしまいがちだ」
「孤独こそは、現代を生き抜くための、真のパートナーである、と言っても過言ではないのではないだろうか?」


孤独でもいい、いや孤独こそ大切なんだよと、生まれて初めて言われた瞬間だった。そして救われたのだ。


それからの私は一人でいることが怖くなくなった。学校で一緒に過ごす友だちはいたけれど、もしいなかったとしても気にならなくなった。学校が終わったらすぐに帰宅し、自分の部屋で音楽をかけて、本を読むのが、最高に豊かな時間だった。ふと見上げた空間に無限の広がりを感じたあの感覚を、いまも鮮やかに覚えている。ちっぽけな存在の自分も宇宙の一部なんだと、あのときにもしかしたら知ったのかもしれない。


大人になり、自立し、家族を得た今も、それは続いている。家族も友人も愛しているが、ず〜っと一緒にいるとエネルギーが落ちる。一人の時間を持つことは、私にとって最優先事項だ。一人の時間を持つことで、頭のごちゃごちゃを整理し、心を整える。それができて初めて、自分にも人にも優しくできる。エネルギーを渡せる。まさに辻さんがエッセイに書いていたその状態を体感しているわけだ。


あの多感過ぎる高校2年生にこの本に出逢えたことは、救いだった。そして今、私は魂レベルでうなずいている。「孤独は創作において、最大のパートナーである」(エッセイ「いかにして孤独を得るか?」の冒頭の一文)と。


そういえば…私が辻さんの世界と出逢うきっかけをくれたあの男の子はいま、どこで、何をしているだろう。どんなことを考え、感じて生きているのだろう。もし再会することがあったら、最大限のありがとうを伝えたい。

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