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【エッセイ】客のいない蕎麦屋

昔住んでいた愛知県岡崎市のアパートをグーグルマップで訪ねてみた。
駐輪場の屋根の歪みはあの頃のまま。
隣の駐車場の広告看板が撤去されていた。
2階の角部屋の横が私の部屋だった。




残暑がやたらと長引く年だった。
やっと涼しい風が微かに吹きはじめる日没前、洗濯物を取り込みながらベランダで広告看板の向こう側の公園の木々を眺めていたことや、原付バイクで急勾配の坂の上にあった銭湯に週に一度は行ってたこと、なぜか西友で少し高めのフライパンを買ったことなどとりとめもなくなんでもない思い出が次々に蘇ってくる。

今岡崎市は大河ドラマ「どうする家康」で盛り上がっている。テレビからも岡崎とよく流れてくるのを耳にする。
グーグルマップで「どうする家康岡崎大河ドラマ館」なるものが岡崎城エリア内に出来ていたことを知る。

当時、原付バイクを走らせて岡崎城を見に行ったことを思い出した。
ここがあの徳川家康の城か〜とヘルメットを小脇に抱えて眺めていたが大した知識も思い入れもなかったのでその付近の城に似つかわしくない小洒落たアパレルショップやなぜかたむろっていたスケボーB-BOY集団の柄の悪さの方が印象に残っている。

岡崎はどこか金沢と似ていた。
街の規模だろうか。
方言(尾張弁)も抵抗なく聞き取れたしすぐに伝染った。
お陰で私はすぐに岡崎に馴染むことができた。
が、食べ物については少々悩まされた。

スーパーの惣菜の串かつには当たり前のようにドロっとたっぷりの味噌ダレがかかっていた。
赤味噌、八丁味噌、味噌味噌味噌…。
愛知の味噌文化は有名だったし知ってはいたもののここまで日常に根を張っているのを実際体感すると身構えるものがあった。

愛知は基本的に味付けが濃い(個人的味覚によると)。甘くてくどかった。
西友くらい大きなスーパーだと何もかかっていない豚カツなんかの惣菜も置いてあるが小さなスーパーだと選択肢が味噌ありきになる。
やたらと惣菜のことばかり思い出している自分にも驚いているがとにかく味噌まみれだった(味噌まみれって…)

室井滋さんが目隠しされ無理矢理インドに連れて行かれ自身の歌のカセットテープを手売りさせられる番組の企画で、もうカレーは嫌なのよ〜(号泣)毎日毎日カレーは嫌なのよ〜と、嘆いていたのを思い出す。

休みの日は快速電車で名古屋駅まで行った。
映画を観るのが週一の楽しみだった。
妻夫木聡と映画初出演のSAYAKAの「ドラゴンヘッド」をなぜか強烈に覚えているのはきっと山田孝之の狂気のせいだろう。


名古屋駅の地下街はまるで迷路で、飲食店やブティックやお土産屋が統一感なく並んでいた。
栄ではよく古着屋巡りをした。
帰りの電車内ではTOKIOのJR東海のポスターをぼんやり眺めながら30分ほど過ごした。
移動中、活躍してくれたのがMDウォークマンだった。私の良き友だった。

平日の昼に放送されていたドラマ「キッズ・ウォー5」を録画して夜に観ていた。
主題歌「HANABI~8月の日~/未来−MIKU−」がとても気に入っていたのでMDにダビングして移動中にウォークマンで聴いていた。今でもこの歌を聴くと岡崎を思い出す。



アパートの近所のいつも駐車場ががらがらの暇そうな蕎麦屋に入ってきのこそばを食べた。可もなく不可もない味だった。店内には私だけだった。それなのにだいぶ待たされた。立地のせいではないのかもしれない…。

そういえば両隣の住人の顔を思い出せない。
引っ越しの挨拶で菓子箱を渡したことしか接触はなかった。
壁は薄かったのにあまり騒音で悩まなかった。
本当に両隣は存在したのかさえ疑ってしまう。

え…いたよね?(いただろ)


グーグルマップの矢印を押せばあの頃にタイムスリップできる。

暗い店内の小さなスーパーは潰れていた。
入ってみたかった昔ながらの喫茶店もなくなっていた。
無理もないか…
あれから20年近く経ってしまったのだから。

あの駐車場がらがらの蕎麦屋は潰れていなかった。
客いないのに。


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