【コラムエッセイ】バブル、バズる、ブロークン
どんなに爆発的に流行ってもいつかは廃れる。
栄枯盛衰。
それは先人たちが歴史で証明してきたわかりきった周知の事実なのに、人は浮かれ気分に我を忘れて同じ虚しさを味わう。
悲しき性よ。
本題の前にもうひとつ。
東京以外の都市を大きく3つに分けてみる。
大阪、名古屋、北海道。
それぞれに巨大で強大なローカルコンテンツが存在する。
大阪といえば吉本のお笑い。
吉本新喜劇は日常に溶け込んでいると聞く。
そして、注目するのは上沼恵美子さん。
関西へ移り住んだ知人曰く、毎日どのチャンネルにも上沼恵美子が映っていると。
それは今から20年前の会話なのだが、今もレギュラーは減った(減らした)にせよ、関西の女帝の地位は揺るがないだろう。
次に北海道。
なんといっても大泉洋さんではないだろうか。
『水曜どうでしょう』は津軽海峡を越えて全国へ。
こちら石川県でもタイムラグはあれど深夜放送されていた。
それも20年近く前の話だったが、今では大泉洋さんは大河ドラマ、紅白の司会と大出世されている。それでも北海道のローカル番組を蹴ることもなく、北海道と寄り添っている。
そして名古屋だ。
愛知でもいいのだが名古屋としておく。
それだけ名古屋文化は複雑だと思うからだ。
何が複雑なのか…それは、ごったがえしているから。
西と東の中継地点はどちらの文化もごちゃまぜにしてしまう。美味しいとこどりなのはいいのか悪いのか…。
名古屋は有名なアニメもドラマも昔から制作してきた。『中学生日記』や『キッズ・ウォー』なんかは私のどストライク世代でもある。
名古屋を拠点としたアイドルグループも少なくない。
BOYS AND MEN通称ボイメンは愛知の公共市政の仕事も請け負っている。
今はどうかわからないが何年か前からたまに東京の番組にも出演してたし、全国区の知名度ではある。
が、しかし、大阪より東京に距離的にも近い名古屋だが名古屋での地産地消感の濃さがぬけない。
まるで味噌文化の濃ゆい味付けのように。
名古屋で事足りてしまうのかもしれない。それだけひとつの都市として世界が出来上がっているということかもしれない。
さて、これらの話を踏まえてやっと本題。
最近ツイッター(X)を賑わしているのが愛知のローカルビッグスター、東海オンエア。
と、いってもお恥ずかしながらYouTuberのことはほとんどわからないので、何が大変なのか、何が騒がれているのかさっぱりなのである。
ヒカキンくらいなら名前と顔は一致する。
が、ヒカキンの動画を観たかというと観てないに等しい。
目にしたことはあっても視聴したうちに入らないレベル。
ヒカキンでこんな感じなのだから説明は不要であろう。
何から手を付けていいやらわからないが(別に手を付けなくてもいいのだが)
こんなに目につくんだから大筋はぼんやりとでも知っておこうとなるのが私もひとりの俗物である証。トホホ
まぁ、驚いたのは東海オンエアという男6人グループの愛知での知名度の高さたるや桁違いだということ。
想像を絶する人気。
選挙に立候補したら当選するだろうってくらい超の上に何個も超が付く有名人だった。
拠点が岡崎市で、徳川家康より東海オンエアが若者には浸透しているようだ。
もうここまでの域に達していたら素人ではない。
かといって芸能人、タレント…でもない。
なぜなら彼らはYouTuberなのだ。
この知名度や影響力ゆえに、頭で処理できないあべこべを生み出す原因はそのずれにある。
芸能人なら事務所が管理してくれたり、マネージメントしてくれたり…
と、まぁ今のご時世的に事務所を一概にこうだと昔の感覚で定められないのだが…
それでもYouTuberと芸能人は職種が違うと思うのだ。
縛られたくないから自由に活動出来るYouTuberがいいという人もいれば、YouTuberで成功して芸能人になってやるんだという人もいる。逆輸入方式?
YouTuberと芸能人に優劣はつけられないが、YouTuberは決して芸能人ではないことだけは明確にしておかないと境界線がぼやけてなんでもありの無秩序の無法地帯になってしまう。
だから、今回の騒動につながってるわけなのだ。
かなり過激なことになっているようだ。
付け焼き刃なのでわかったようなことは言えないが、率直な感想として、こじれにこじれた喧嘩をみせられている…だ。
しかもノリが学生(なんだか成熟しきっていない感)
登場人物の名前がニックネームばかりなのでなおさらラブワゴン感(古い?)
結論からいうと、よくわからん。(大滝秀治風に)←これも古い…?
ここまでの人気者たちがこんな茶碗やコップやスナック菓子を投げ合うような喧嘩を繰り広げてしまっているのをみせられて(実際物は投げてないが)それなりの立場ある大人がびしっと間に入って収められないってのがYouTuberって因果な商売だなと思うのだ。
彼らは彼らの責任で10年間も活動してきた。
10年間つづけるってすごい才能だと思う。
だから彼らを支持するファン(主に10代〜20代の若者)がとんでもない数でいるのだろう。
最近よく聞く言葉で「10年前にYouTuberって言葉自体なかったですから…」がある。
本当に、よくこのテンプレートなセリフを耳にする。
先人はうまいこと言ったもので、十年一昔なのだなーと、改めて思う。
こどもが将来なりたい職業ランキング1位にYouTuberって時代がきてしまったのだ。
ここまでYouTuber、YouTuber言ってるがYouTuberってどこからどこまでの範囲の人なのかわからない。
You Tubeに動画をあげているだけでYouTuber?
いや、個人的な視点だがある一定の類似したノリを醸し出す賑わせ屋がYouTuberだと思っている。
困るのは当たりが出るまでガチャを引くとか、そういう大金がないと成り立たない企画。
世の親たちがこどもに「はい、この五百円で遊びなさい」とゲームセンターでお金を渡すとして、もしこどもに「えー、たった五百円?〇〇はうん万円でクレーンゲームしてたよ」なんて言われた日には色んな意味で悲しくなるだろう。
この五百円を稼ぐのにどれだけ苦労しているか…
なので私はこどもの金銭感覚に反乱を起こさせる原因になりかねないこの類の企画を流すYouTuberに好感が持てずにいた。
YouTuberってなんだろう。
今回、しんみり考えさせられた。
大人になって真剣にふざけて視聴回数を稼ぐその先には……………何があるのだろう。
流行りのYouTuber。
YouTuber誕生から(正確には違うだろうが)10年という節目。
ここらでYouTuberというバブルははじけるかもしれない。
栄枯盛衰。
驕れる者は久しからず。
ここらが潮時。
とまでは断言できないが、流行ればいつかは下降線をたどるのだ。
上がり続けるものなどない。
積んでは崩れて、もしくは自ら崩して。
その繰り返しが職業としてのYouTuberを進化させて、職業としてどうみられるか試されているのだろう。
それにしてもローカルで全国へ発信できるコンテンツがあるのは素晴らしいことだ。
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