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心のリハビリには土の匂いと人の体温

ずいぶんと間が空いてしまった。私は元気です。
今月はいろいろとありまして。メンタルヘルスに大切な気付きを得たよ~。

一応、初見の方のために。
今年1月から適応障害を理由に休職し、3月末で退職。自宅療養中で無職の人です。抗うつ薬と抗不安薬を毎晩服用し、当初よりは安定した精神状態で過ごしている35歳女です。

6月は、療養6ヶ月目・無職3ヶ月目になるのだけど、気持ちの持ちようとして転機だったなーと思えた1ヶ月でした。

細々したのは別の記事でまとめるとして、大きなイベントとしてはこれ。

実家に夏休み的な帰省をした

理由

❶実家介護中だった祖母が高齢者ホームへ入居した

祖母が同居していた叔父が急逝したため、比較的近所の母(私の実家)が祖母を呼び寄せて自宅介護。期間は高齢者ホームの入居が決まるまで。祖母は90を超えた高齢なので、東京住まいの我々はコロナなどの感染症を持ち込むリスクがあった。だから実家に帰ることは控えていた。

❷母が乳がんに罹患し、抗がん剤治療を始めることになった

入院ではなくまずは通院による治療になるのだけど、抗がん剤によって髪が抜けたり体調が芳しくない状態が続くと考えられたので、元気なうちに孫である私の娘と遊ぶ時間を設けたかった。

❸娘と私のリフレッシュ

娘もばあばとじいじに会いたがっていたし、私も母が心配だった&地元の友人とも対面で会話したかった。
私は体調が良くなってきていたから、そろそろ就労許可をもらって働きに…と思っていた矢先、母の乳がん罹患の知らせと、夫の海外出張(3ヶ月)の打診が重なったの。それで、心身がまた不安定になるんじゃないか、それによる娘への影響もどうなってしまうのか怖かったから、とりあえず実家に帰りたかったわけ。

結論から言うと、これは3者(母・娘・私)にとってすごい良い期間になった気がする。


良かった効果

❶私のメンタルセルフケアの方法が分かった

これ、でかかった~!簡単そうで、意外と意識しないとできないこと。
それは自然に触れることだった。青空とか風とか、植物とかのNatureね。
実家にはわりと大きな庭があって。植物好きの母が、いろんな種類の草花を植えて手入れをしている。農家生まれの父母らしく、家庭菜園もある。大工志望だった父が建てたウッドデッキもある。

GR(カメラ)持っていきたかったけど忘れたのでスマホで💐

このウッドデッキで、風鈴の音を聞きながら、色とりどりの草花と芝生のなかで遊ぶ母と娘を横目に、本を読みながらビールを飲む。柔らかな風も心地よい。そこで過ごしていると、不思議と近所の視線は気にならず(田舎だからということもある)、蚊やクマンバチや蝶や謎虫は居るものの、そこまで怯えることはなかった。
自然との共存という感じ。危険なものは自分らで対策や駆除をし、清潔にしていても出る汚れは、手入れをするかそのまま受け入れる。

自然の中にいると、心が安らぐというか、
思いっきり深呼吸できる感じがする。

ふだん私が住んでいる東京の家は、多車線の大きな通りに面していて、広めの歩道沿いに建っている。窓を開ければ、通行人が家の中を覗ける距離。だから窓は閉めたまま。開けたとしても白いカーテンがあるので、室内からは外の様子が見えない。

家の反対側には、すぐそばに緑地がある。しかし行政の手入れ頻度が低いため、鬱蒼としておりカメムシやら謎虫やらが多い。コワイ。庭は無い。

でも、今回の帰省で思い出したよ。私はもともと土遊びが好きだった。虫も怖かったけど、いまほど怯えたりはしなかった。農家の祖母の家に遊びに行くと、山を駆けて祖父母や叔父の後を付いてまわっていた。土汚れたゴザの上で、ボロ葉を使ったおままごとをしたり、野菜の収穫や袋詰めを手伝ったりしていた。青虫のウンチを拭き取ったり、巨大な謎虫と格闘することもあった。爪の中が真っ黒になるまで、雑草抜きをした。土がついた根っこを「ラピュタだ!」と言って喜んでいた。鼻の穴の中が真っ黒になると、塩水で鼻うがいをした。

でも。
東京に来て子どもを出産して、すっかり除菌抗菌・目隠し・使い捨ての精神が染み込んでしまったな。
母からローズマリーの挿し木をもらったので、とりあえずそれを玄関先の小さな一角で育てることにしたよ。
あと、歩道沿いの窓も開け放しているなう。外が明るいときは、光の具合で家の中は真っ暗に見えるんだということに気が付いたよ。
そんなに暑くない日なら、クーラーでなくて自然の風と扇風機で十分だわ。

❷勝手に悲壮な姿を想像する、脳内変換の怖さを知った

お祖母ちゃんに会ってきたよ。そうね…6年ぶりくらいかな。
夫と結婚することになって、祖母の家にも挨拶に行ったとききり。でもその時も、チラと顔を見るだけだったかな。既に足も悪くなって認知症も進んでいたから、あまり話す時間を設けてもらえなかった。結局、当時の叔父一家と会話するくらいだったから。
祖母とまともに話せたのは…10年以上前だった気がするな。

5年前の私の結婚式にも、半年前の叔父の葬式にも、祖母は参列できなかったから、私の記憶の中の祖母の姿は、口も手も良く動かすタフなお祖母ちゃんだった。
祖母に会いたいと話す私に対して、母はいつも「お祖母ちゃんはあんたのことは覚えていないし、思い出してもすぐ忘れるし、同じこと繰り返し言うから、会わない方がいいよ」と言っていた。私も、病状的に会わない方がいいのかなって思って、無理強いはしなかった。

でも、祖母が高齢者ホームに入居することになって、私も帰省する機会もそう無いし、ということで、姉と私の2人で面会に行くことになったわけ。
本当は娘も連れていきたかったのだけど、ホームの規則上、中学生以上(小学校中学年だったかな?忘れた)でないと面会できなかった。90越えの高齢者が多いのだもの、あちこち触り走り回る子どもは危ないよね。

私たちも、面会時間は15分きり。
実は姉は実家住まいで、最近までお祖母ちゃんと実家で過ごしていたから、わりとフラッと立ち寄る感じだったの。でも私は、まともに話したのは10年以上前だし、母から「会わない方がいい」とまで言われていたから、相当容姿も性格も変わってしまっているんだろうなって、怖かった。
小学校の頃に亡くなった、大好きな祖父の病床での姿や死に顔。
半年前に亡くなった、尊敬していた叔父の死に顔。
どちらも生気がなく、声をかけても目を開くこともなく。いま思い出してもかなりしんどい思い出。

だから、祖母に会いたい気持ちは大きかったものの、会うのも怖いという感情でドキドキしていた。

ホームに入り、案内された広場に足を踏み入れて祖母を探すと、すぐに分かった。しっかりした横顔。頭に可愛いバンダナを付けてもらっていた。
スタッフの方が祖母の車椅子を回して、私たちのところへやってくる。対面して、私はホッとした。記憶の中の祖母、そのままだった。
もちろん、頬や瞼はこけていたし、皺はより深く多くなっていたけど、目や口の艶は、そのままだった。

お祖母ちゃん撮るの忘れたら姉が送ってくれた🍀

「あー?お前はだれだ?」
「akiだよ~おばあちゃんの孫だよ。○○(母)ちゃんの子ども」
「あー、そうか。なんて名だったかな」
「akiだよ~。久しいね。やっと会えたね」
「あー、そうか。○○(母)ちゃんの子か。ん~…わしの子どもは幾人だったかな?」
「3人だよ。○○ちゃんと、○○ちゃんと、○○」
「あー、そうか。お前は誰だ?誰の子どもだ?いや、こんな顔の子はおらんな。知らない子か?」

みたいな感じで、ひたすら堂々めぐりだったけど、方言も、口調も、手ぶりやしぐさも、みんなお祖母ちゃんのままだった…。
最後に手を握った。お祖母ちゃんの手は厚くすべすべしていて、温かくて、90過ぎの手とは思えなかった。私の、骨と皮だけのペラペラした手に比べれば、この手をつくるまでに至った年月や力強さに感動さえした。

会う前は、もっと悲壮な姿を勝手に想像していたし、私もこんなに朗らかに会話できるとは思ってもみなかった。

人は長らく会わなければ、勝手に自分の中でその人の姿をつくり替えてしまうものなんだなと思い知ったね。

それは、母に対しても同じ。
以前のnote記事で、母に降りかかる悲劇の連鎖について語ったけど。私が勝手に悲劇のヒロインへつくり替えてしまっていたわ。
母は、やっぱり母のままだった。
タフで、少し弱くて、厳しくて、過保護で、お茶目で寂しがり屋で天邪鬼…

電話や動画通話じゃなくて、対面で会うこと。
これが、いちばん、双方ともに安心できる方法。

❸娘のデジタルデトックス

これは想定していなかった。思わぬ副産物。
我が家はネットが繋がるTVなのだけど、実家はそうではない。
だから、ネットフリックスやYouTubeは見られない。※スマホでは普段から見せないようにしている(画面が小さすぎ・でも夫は見せている😫)。

それに、TVのチャンネル主導権はつねに父母にある。NHKか中韓ドラマ。娘に選択の余地はなかったけど、娘はとくに「見たい!」といつもの番組をねだることもなかった。夜もわりとすぐに寝た。
たぶん、体を動かす外遊びの方が面白かったのだろうな、と思う。
広い庭でシャボン玉や水風船で遊んだり探検したりする方が、刺激になったのかなぁと思う。

水遊びは気持ちがいいね~

東京の家に戻ってからは、我々が見ている見る番組(ニュースとかバラエティとか)を見ていても、「変えて!」と言うことも少なくなった。嬉し!


ほかにも、小中高の友人とランチをしたり、母と娘と共に温泉に行ったり(乳がんで切除手術をする前に行きたいと母から提案)、姉と母と娘と共に地元のレストランランチをしたり。
ずいぶんとのんびりしながらも充実した、早めの夏休みだったよ。
滞在期間は約1週間弱。とても良いリフレッシュ期間だったわ。

「退職したら旅に出るといいよ」と、最近退職したての先輩(前々職)が友人に言われたらしく、旅に行きまくっているという。

メンタルダウンしている時は、重い腰を頑張って頑張って上げて、無理にでもふだんとは違う環境や場所に、一時身を置く
すると自分の考え方、感じ方、好きなこと、嫌いなこと、いろんな発見があると思うよ。

日本人はバケーションという概念が薄いけど、ちょっとビジネスホテルに泊まってみるとか、避暑地に行ってみるとか。
とにかくその場所からいったん離れた方がいい。と思う。

とりあえず私はこの気持ちを忘れないようにnoteに綴り、そして母からもらったローズマリーの挿し木を枯らさないよう、頑張って育てるつもりだよ。サボテンすら枯らす女ですから、大丈夫かな~🥺🪴


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