見出し画像

STOP!ポジティブ変換

「悩み」を相談するのが、得意じゃない。

たとえば、仕事を辞めるか辞めないかで悩んでいたとする。やりたいことはできているけど、職場の人間関係がしんどいとか、今よりいい条件で転職できる自信がないとか、新しい職場でまたイチから仕事を覚えたり、関係を築いていくのも面倒くさいとか、でももう会社に行くのがツライ……とか。こんな具合に悩んでいたとしても、私は人に相談せず、ひとりで抱え込む傾向にある。

親しい人に悩みを打ち明けるのは、「あーでもないこーでもない」と、数週間、いや、数ヶ月考えあぐねて、ようやく答えが見つかった時。電話をしたりLINEをしたりするわけではない。会う用事があった時に――一緒に舞台を観に行くとか、デザートビュッフェに行くとか、遊びに行く約束をしていた時に――「そういえば」と切り出す。「こんなことを悩んでいたんだけど、こうすることにしたの」と。

だけど、それは「お悩み相談」とは言わない。これは、限りなく「事後報告」に近い。


___


「悩み」って、多かれ少なかれ自分の奥底にあるドロドロした感情が起因して発生するものではないだろうか。

私は、それを親しい人に打ち明けるのに抵抗があるのだと思う。「こんな汚い感情を抱いているってバレたら嫌われちゃう!」と、心のどこかで怯えている。親しい人だからこそなのかもしれない。ただでさえ友達が少ないのだから、これ以上失うのは御免だ。

「私はこう思う!」って意見や考えだけはハッキリ物申せるくせに(それは長所だとも思うけれど)、弱くて折れそうな姿は人に見せられない。単に、プライドが高いだけなのだろうか。それとも私って、小心者?

加えて、私の悩みを聞かせるために、相手の手間を取らせるのも申し訳ないと思ってしまう。だって、私の悩みって「しょーもない」かもしれない。人に相談するほどの、深刻さや緊急性の高い大きな悩み……ではない気がするし。人の考えを聞かなければ答えが出せないものなのかと聞かれたら、絶対に「そう」というわけでもない。

――かくして私は、どんどん秘密主義になり、ひたすら悩みに悩み抜き、自ら答えを掴み取りにいく「強い女(笑)」になっていくのであった。


___


ちょっとだけ「悩みを打ち明けられない私の愚痴」を聞いてほしい。愚痴だから、嫌な気持ちにさせてしまう可能性もある。その場合は、即座にブラウザの戻るボタンを押して、他の爽やかな投稿を読みに行ってほしい。

ここまで「人に悩みを話せない理由」をダラダラ書いてきたけど、もう一つだけ、決定的な理由がある。


勝手に「ポジティブ変換」されるのがイヤ。


……なのである。「ポジティブ変換」とは、読んで字のごとく悩みの視点を切り替えて、ポジティブな考え方に転換することである。ものすごく安易な例をあげよう。


A子「やらなきゃいけないことがたくさんあったのに、お昼まで寝ちゃった!えーん!せっかくの休日が台無し!」
B美「ゆっくり身体を休めたって考えればいいじゃん!」


うん、そう、確かにそうなんだよ。事実、身体は休まったに違いない。でも、「休日が台無しになってしまって哀しい」の「哀しい」感情が、視点のすり替えによって、置いてきぼりになってしまっていないだろうか?

もちろん、B美は何一つ悪くないし、A子を励ますつもりで言ったに違いない。良かれと思って言ったのに「私の「哀しい」気持ちをわかってよ!!」なんて怒られたらたまったもんじゃない。私なら「じゃあもっと早く起きればよかったでしょ」とA子にド正論を叩きつけてしまう。ポジティブな視点を与えられるB美は、優しくて聡明な人だ。


___


以前、私はライターとしてデザイン事務所に勤めていた。10人にも満たない小さな会社で、「倒産」の二文字がしょっちゅう脳裏にチラついていた。

未経験でもライターとして雇ってもらえたことに感謝していたし、何より書くことが好きだったから、仕事も精一杯頑張った。早く一人前になって、キャリアを積みたかった。身に付けたライティングスキルを、仕事だけでなく自分の創作活動にも活かしたい気持ちもあった。

右も左もわからない一年目、ひとり立ちしたもののどこか心許なかった二年目は、若さとやる気だけで乗り越えた。三年目を迎える頃には、クライアントとも良い信頼関係を築けていたし、四年目には後輩の育成もできるようになっていた。自分で言うのも烏滸がましいことこの上ないけれど、ライターとして一人前になれたのではないだろうか。


「玄川さんがいないとやっていけない」

ある時から、会社の人にそう言われることが増えた。依然として、いつ倒産してもおかしくない状況だった。経営が悪化したせいか、私を雇ってくれた上司も、ライターの仕事を教えてくれた先輩も、とっくに会社を去っていた。いつの間にか、私が会社を引っ張っていかなければならない存在になっていた。

会社の人はいい人ばかりで、能力は優れていたけれど、でもどこか怠惰でやる気がなかった。誰かが現状を打開してくれるのを待っているような感じがしていた。そして、その「誰か」がだった。

自分たちがこれまでどうにかできなかったこの「会社」を、私に押し付ければ上手くコントロールしてくれるに違いない。――言葉からそんなニュアンスを汲み取ってしまう私は、ネガティブなんだろうか。でも、このまま此処にいたら、「責任」や「面倒」などの会社の一切合切を押し付けられているような気がしていた。私は、知らない間に弊社の精神的支柱になってしまっていたのかもしれない。

私の肩は、成人男性が3名ほど乗っているのかと思うくらい重たかった。正直に言えば、私のほうがストレスとプレッシャーで会社より先にダメになりそうだった。

20代半ば。壊れかけの会社を背負うには、私は若すぎたのだ。


「それって、期待されてるってことじゃん!」
「阿紀は替えのきかない存在なんだよ」
「そんな風に期待してもらえることってなかなかないよ!」
「私だったらうれしいけどなあ」
「なにそれ、最早自慢に聞こえるけど?」


「こんなこと相談したら嫌われるかも」「人に聞かせるほどの悩みじゃないかも」などといった負の感情を数ヶ月かけて乗り越え、やっとの思いで周囲の人に打ち明けた。返ってきた言葉は、「ポジティブ変換」のオンパレードだった。

わかってるよ。「玄川さんがいないとやっていけない」は、普通ならめちゃくちゃうれしい言葉なんだって。私だって何度も変換した。期待してもらってるんだ、頼りにされているんだ、私じゃないとダメなんだって。それが、この上ない誉れであることも、わかってる。

でも、それだと私は潰れてしまう。私がいなくても上手く仕事がまわってほしいし、私がいないと困るなんて状況は、私が困る。私は会社のために生きているのではなく、私は私のために生きているのだから。

期待に応えられない私がいけないんだろうか? ポジティブに受け止められない私の思考回路がダメなんだろうか? それじゃあ、もうぺしゃんこになりそうなこの気持ちは、

一体どうすればいい?


___


「それはしんどいなあ」

「5分だけ電話しても大丈夫?」と、友達から急にLINEが届き、「5分だけ」と言いつつ、通話が3時間を超えようとしていた頃だった。

その通話は、「腹立つことがあったから聞いてほしい」という友達の愚痴のようなものだった。何かアドバイスをして解決するようなものではなかったので(考え得る解決策はすでにやっていたようだった)、私はただひたすら彼女の話を聞いて、一緒に憤るだけしかできなかった。

少し怒りが収まってきたのか、彼女は「最近どうなん?」と、今度は私に話をふってきた。丁度うじうじ悩んでいたことがあり、思わずぽろっと口から零れ出てしまう。まだ何も答えらしきものは出ていなかった。

彼女は私の胸のうちを聞いたあと、「ああ、それはしんどいなあ」と一言つぶやくように言った。

「こうしたらどう?」などの解決策の提案もなければ、「こう考えてみたら?」などのポジティブ変換もない。ただ気持ちを込めて「しんどいなあ」と言っただけなのに、トゲトゲした茨に包まれた私の心に、じんわりと沁みこんでいく。

ああ、そうか、私。別にアドバイスとか解決策とかを求めていたわけじゃなくて、ただ誰かに気持ちをわかってほしかっただけなんだ。ポジティブに考えられない、ネガティブな私の感情を、「間違ってないよ」ってそのまま受け入れてほしかっただけ。その「しんどいなあ」で悩みが解決するわけじゃないけれど、私の心は確実に救われた気がした。

「ありがとう、少し楽になった」
「えぇ? なんで?笑」


___


具体的な解決策がなく、気持ちを切り替えることでしか悩みを打ち消せない場合、「ポジティブ変換」は役に立つ。

「ポジティブ変換」によって前向きに考えられたほうが、きっと良い方向に物事を進められる。うじうじと悩んでいても仕方がないことが、この世の中にはたくさんあるのだ。

でも、「ポジティブ」に変換する前に、ワンクッション、「ネガティブ」に寄り添う視点があってもいいと私は思う。そもそも最初からポジティブに考えられたら、こんな風に悩んでいない。

特に私の場合は、脳内で「あーでもないこーでもない」と思いをめぐらせるタチなので、ポジティブ変換も事前に済ませている。それでも、心の奥のほうにあるパーツは「ポジティブ」に置き換えられない。頑なで、簡単には納得させられないのだ。

ほかのパーツを楽観的に騙すことはできても、現実的で理性的な視点を司るそのパーツだけは、ごまかしがきかない。変えられないなら、寄り添うことでやわらかくしていくしかないのかもしれない。


……と、まあ、ここまでダラダラとポジティブに変換されるのがイヤな理由を書いてきたけど、もちろん、人に悩みを聞いてもらっておいて、「勝手にポジティブ変換するな!!」は自分でも言い過ぎだと思っている。

先に述べたように、ポジティブ変換したB美も、私の話を聞いてくれた友達も、何一つ悪くない。私の性根がひん曲がっているということだけは、おわかりの通りだ。

だから、誰かに話す代わりに、悩んでいることをこっそり此処に書いている。気が済むまで書いて、書いて、書きまくって、答えを出す。ちゃんと答えを見つけ出さないと、最後の一行にはたどり着けないから。これはある種のカタルシスなのだ。

私は「いつも迷いがなくて凜としている」と思われがちだけど、そんなことあるはずがない。ただ、悩んでいる過程をあまり人に見せていないだけなのである。相手に時間をとらせるのが申し訳ないから、ポジティブに変換されるのがイヤだから。

だから今日も、私は書くことを通して自分と向き合うのだった。




TwitterやInstagram等のSNSを下記litlinkにまとめました◎ 公式LINEにご登録いただくと、noteの更新通知、執筆裏話が届きます! noteのご感想や近況報告、お待ちしています♡ https://lit.link/kurokawaaki1103