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本当にマイノリティを大切にするとは?

人間にはいろいろな個性があります。ジェンダーにかぎらず、まったく同じ人というのは存在せず、それぞれがみんな違った特徴をもっています。そして、従来の大量消費大量生産の時代がおわって、社会における男性の役割、女性の役割がじわじわとかわり、AIが人間をしのぐくらいの存在感をしめす時代、今までの「みんなが同じ」であることで最適化がはかられてきた社会のシステムが、もうこのままではいかなくなってきています。

だから、マイノリティの存在を認めよう、マイノリティの権利を尊重しようということに、真っ向から異を唱える人はほとんどいないと思います。なのになぜ、マイノリティに対する立場をめぐって、国がふたつにわかれるかのような残念な構図が、今の私たちに立ちはだかっているのでしょうか?

私は、個人的にはどちらの気持ちもわかります。



マイノリティの権利を積極的にまもろうという考えの人は、法律をつくってマイノリティの差別を禁止すべきだといいます。この場合のマイノリティの定義や権利の範囲はかなり難しい問題ですが、げんに社会において深刻な差別にさらされて不利益をこうむっている人たちがいる以上、ポリシーじたいは間違っているとは思いません。でも、いわゆる当事者の中にも、安易に国を二分化するようなルールをつくるとかえって社会が混乱するから、あえて法律をつくる必要はないという考えの人もいます。

伝統的な家族観を重視する保守的な考えの人は、従来から男性と女性がそれぞれ社会で果たしてきた立場の違いをおもんじる立場から、マイノリティの差別を禁ずる法律は認めるべきではないといいます。主張の度合いによるとはいえ、家族や国柄を重んじる保守的・伝統的なポリシーは社会の漸進的な発展にとって大切なものだと思います。家族制度を揺るがしかねない急進的な変化に警鐘をならすような構えはじたいは、頷ける部分ではあります。

とはいえ、そうした考えの人の意見にもかなり偏りがあります。法律ができたら、戸籍上男性が女性トイレにどんどん入ってきて女性は安心してトイレにいけなくなってしまうとか、公衆浴場に自称女性がまぎれこんで権利を主張して裁判したら勝つようなとんでもない世の中になってしまう、といった論調がほんとうに多いです。法案の内容をみてみると、ただちにそうしたリスクが社会をおそうといった構図は現実的ではありません。ややもすると、メディアうけをねらったセンセーショナルな論調が幅をきかせているのかもしれません。



それでは、本当にマイノリティを大切にするとはどういうことでしょうか?

それは、マイノリティの人が自分らしさを発揮して、自分らしく努力して社会で活躍していくことだと思います。マイノリティ≒弱者というと、ただちに保護しなければならない、援助しなければならない存在だと考えがちです。もちろんケースバイケースとはいえ、少なくとも理念としてとらえるかぎり、そうした発想はゆきすぎだと思います。

たとえば、身体や心にハンデをもった障害者の場合はどうでしょうか? 今は障害者をめぐってさまざまな法律がありますが、基本的には自立を支援するという考え方が主流になっています。弱者だからみんなが助けてあげないといけないというよりは、本人が努力することで少しでもハンデをのりこえて自立にむかうための仕組みという発想が大切にされています。

この点は、ジェンダーにおけるマイノリティについても、同じだと思います。弱者だから、国とか自治体が(本人の努力に関係なく)支援して当たり前とか、差別されているから(他人の権利に関係なく)それをおしのける権利があるといった発想は、そもそも入り口から間違ってしまっているといえるでしょう。



とはいえ・・・

そもそもマイノリティであることは、本人の意思とか努力にはまったく関係のないことであり、またマイノリティであることじたいが、差別されたり社会で活躍できない素因になるだけでなく、自己重要感をもてずにメンタル不調をきたしてさらなる脱落に向かってしまう負のスパイラルになっているのが悲しい現実だといえます。だから、多くの場合、いくらまわりが頑張れと声をかけたとしても、本人は理屈ぬきに頑張ることができないのです。

このような現実にたいして一矢をむくいる処方箋があるとしたら、それは人間がポジティブ感情をもって意欲的・能動的になれるように自己変革をうながすことしかないと思います。人がどのようにものごとを受け止め、どのような言動をとるのかというメカニズムは、一定のレベルで科学的に解明されているといいます。そうした知見を動員して、とにかく自律的にポジティブに向かうベクトルをつくっていくことが大切でしょう。



負の感情はさらなる負をうみだし、負の行動はさらなる負の行動につながります。マイノリティの人は、残念ながらネガティブ思考におちいりがちですが、それが実態をこえてさらなるネガティブをひきおこしているケースも少なくありません。私が気になるのは、マイノリティがつどう場において、ネガティブな感情やネガティブな表現がある種の共通意識としてはたらき、それをポジティブに転じようとする意欲はコミュニティからこぼれおちてしまっている残念な構図があるように思います。

負の状況を受け止めあったり、理解しあうことはとても大切なことだと思いますが、それが高じてネガティブ思考こそが共通利益だと錯覚してしまったり、あえてボジティブな情動をおこそうとする動きを抑制させるような力学あるとしたら、それは相当に深刻な病理だといわざるをえないでしょう。

こうした実態を十分に把握した上で、はじめて有効な支援や補助などが講じられるともいえ、かならずしも法律を根拠に支援制度や補助金などを実施することが問題解決につながるとはかぎらないのです。



本当にマイノリティを大切にすること。それは、マイノリティじたいが自律的にポジティブに向かうことで、マイノリティであることに自信をもって生きていくことであり、彼ら彼女たちが個性を生かしてマジョリティと共存していく中で、マジョリティの権利もしっかりと守り抜いていくことです。

こんな流れをひとりでも多くの人が本気でつくっていけるような世の中に一日でもはやく近づいてほしいと心から願っています。

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。