This Coke is a Fantaって知ってる?【言葉の意味を変える者】
2018年、夏。
コカ・コーラがブラジルにて行ったキャンペーンを知っているだろうか?
もともとブラジルでは、「This Coke is a Fanta」という表現がホモセクシャルを揶揄する言葉として使われていた。
そこでプライドパレード(LGBTを讃えるイベントの総称)@ブラジルにてコカ・コーラがこのキャンペーンを行った。
やったことはシンプル。
本当にコーラの中身をファンタにしたのだ。
そして一言。
'This Coke is a Fanta, so what?'
(このコーラの中身はファンタだけど、だから何?)
こういう言い方はあまり良くないかもしれないが、自分たちを揶揄していた言葉が反撃の狼煙に変わった瞬間だったと思う。
世界的なメガブランドによる支援だ。
言葉の意味を変えてみせたこのキャンペーンはその後、カンヌにてゴールドを受賞した。
偏在する悪魔、その言葉
誰も好んで悪者になりたがっているわけではないのでは?
僕はそう思っている。
しかし環境や成り行きで、一つの物差し上の悪方向に進み、誰かを傷つける存在になってしまうことはままあるのだろう。
また自身では悪だと思っていない場合も多い。ほとんどの人はゴキブリを殺すことにためらいを覚えない。
一人一人の無責任で、本人は正義を説いているを思っている言葉が積み重なり、一つの悪魔が生まれることもある。SNSが発展したこの世でそれが生まれる確率は急激に上がっているのだ。
悪魔は偏在している。そしてその口から紡がれる言葉が人を傷つける。
This Coke is a Fanta
これも、そんな言葉の一つだった。
言葉の意味を変えること
言葉というものは、最低でも二つの意味を持っている。
その言葉自体が指し示す「表面上の意味」とその言葉に含まれる、文脈上の「付加された意味」。
「帰ってしまえ足手まとい、どうせ残ってもやることないだろ?」
表面上はひどく冷たいこの言葉も、妻の病気を心配して仕事が手に付かない後輩に対して先輩が送っている場合、別の意味を持つ。その先輩の手には後輩がやるはずだった仕事がある。
言葉は気持ちを外的に表現するためのツールなのに、それ自体では全ての意味を理解することはできない。もう一つの意味を読み取らなければならないし、僕らはそうしている。
そしてその「もう一つの意味」は容易に変わる。
'This Coke is a Fanta, so what?'
そういうことができる奴になりたい
コカ・コーラはメガブランドとしての影響力を持つがゆえにこれほどのことができたのかもしれない。
しかし逆にそれだけの大きさを持っていながら、このキャンペーンのような行動をとったことは勇気だと考えていいと思う。
そしてその勇気は僕らにも持てるし、目の前の相手に影響を与えることくらいならできるのではないだろうか?
誰かが言葉によって苦しんでいた時、その言葉の意味を変えられるような奴になろうと思う。
学習のアーティストを目指してます。学習ノウハウの体系化・学習体験のコンテンツ化を通して、学習者のレベルアップを手伝います。現状、お金よりも応援がほしい。