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服が似合わなくなってきた。「年相応」って必要?「自分がどうしたいか」は難しいけど大事

「ん、あれ?」
クローゼットの横にある姿見で、「一軍だと思っている」服に着替えた自分を見る。しっくりこない。
ウエストに仕舞い込んでいるTシャツの裾を出してみる。なんか違う。

齢28、好きだった服がどうにも似合わなくなってきた。
綺麗めのパンツもなんか違う。スポーティーなTシャツもなんか芋っぽい。履きやすくて人気のあるスニーカーも私が履くとなんかおかしい。
服だけではない。メイクもスキンケア用品も髪型も、インスタ投稿のテイストすら、なんだかしっくりこなくなってしまった。

30歳を前にして、そろりそろりと訪れた変化の時をとらえた。

24歳ごろ、学生時代よりも身なりにお金をかけられるようになったことで、しっくりくる着心地の良い服や、肌の調子がバチコン上がる美容液に出会ったりして、ホッとしていたのに。もう一度「しっくり」探しの旅に出る必要がありそうだ。

この混乱の根本にあるのは何なのか?
考えてみたら、一つの言葉が浮かんできた。

「28〜29歳のスタンスが分からない。」

社会的にも、若手から中堅への過渡期。わたしのように独身でいる人も、結婚した人も、すでに子育てをしている人も色々いる年齢。
今の年齢って、若いと言っていいのか?いや、もう「いい年」と思うべきなのか。今の年齢での自分の立ち位置が、うまく言語化できずにいた。
別に、どっちかである必要はないだろう。時と場合によるだろう。
けれど、別に誰に何を言われたわけでもないのに、潜在的に「年相応」を気にしていた自分がいたのだ。そして、その揺らぎが「なんか服がしっくりこない」につながっていた。

年相応を気にする自分。
そこには、「自分がどうしたいか」ではなく、「周りからどう思うか」「どう思う『べき』なのか?」という、人に評価を委ねる姿勢があった。まあ確かに、ある程度はその目線も必要かもしれないし、そこにハマることで自己肯定感が上がることもある。
けれど、人に迷惑をかけないのなら、あんまり必要ない思考なんじゃないかとも思った。というか、いろんなチャンスや可能性を、もしかしたらスルーしかねないんじゃないかとも思って焦った。

これだけ「多様化」と言われる社会になっても、やっぱり、どこか浮いて見えるのは避けたい自分がいる。決して目立たず、社会にスーッと馴染みたい自分がいる。
年相応なんて、周りからどうみえるかなんて気にせず、自分の着たい服を着ること。自分のしたいメイクをすること。言葉では簡単に言えるけれど、意外と難しくて、でも大きくいえば「自分らしい生き方」みたいなところにも繋がる大事なことなんだろうなあと思ったのだった。

来月、わたしは29歳になる。30歳を目前にして、どんなふうに生きようか。「アラサーだから」「アラサーなのに」なんて自虐がはびこる年齢だけれど、あんまり周囲の言葉にグラつかず、自分を主語にして暮らせたらいいなと思うのでした。


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