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【短編】 君に、胸キュン

 中学に入学したとき、初めて話した女子が、僕を「糞虫」と呼んだ。
「あなたは糞虫だから、売店で牛乳買ってきてよ」
 僕は意味も分からず、彼女が床に投げた小銭を拾い、二〇〇ミリリットルの牛乳パックを買って教室に戻った。
「糞虫のくせに、よくできたじゃない。次も、あなたに命令するわ」
 彼女はクラスでもかなり浮いた存在で、なぜか僕にだけいろいろと命令をする。
「今日は暑くて死にそうだから、糞虫のあなたが、あたしを涼しくしなさい」
 教室にはエアコンがないから、僕は仕方なくノートをぱたぱたして彼女に風をおくった。
「まあ、糞虫ならその程度しか出来ないわね。あたし、本当は今、死ぬほど気分が悪いから学校を早退するわ」

 彼女はそのまま入院して、しばらく学校に来なくなった。
 しかしクラスでは、僕と彼女が変な関係を持っていることが問題になっていた。
「伊藤桃花さんは、井上シンジさんを“糞虫” と罵りながら、まるで召使のように命令をしていました。調べてみると、糞虫とは動物の糞を食べたりする昆虫の総称で、相手を中傷して見下すときの俗語でもあり……」
 クラスのホームルームでそう告発され、僕は恥ずかしくて顔を上げることが出来なかった。
「伊藤桃花さんの行為は異常で、見るに堪えません。従順な井上シンジさんは、伊藤さんへの恐怖心で誰にも相談できず、きっと苦しんでいるはずです」

 僕はその後、担任教師に呼ばれて、彼女のことをあれこれ聞かれた。
「嫌なことは我慢せずに、全部先生に教えて欲しいの」
 たしかに、僕は糞虫と呼ばれて絶望的な気分になったけれど、購買で牛乳を買ってくるなど、彼女の役に立てたことが嬉しかった。
「先生は新米教師だけど、君たちの関係はたぶん危険だと思う。伊藤桃花さんにも事情を聞かなくちゃね」

 彼女は退院して数日後、僕を体育館の裏に呼び出した。
「今夜、新米教師とクラスの連中の家に放火するから、あなたに手伝って欲しいの」
 僕は、意味がよく分からなかった。
「これは最後の命令よ。今夜零時に、校門の前で待っているからね」
 僕は、なるようになれと覚悟して真夜中の校門に行ったが、約束の時間を過ぎても彼女は現れなかった。
 結局、僕は校門の前にで眠り込んでしまい、目を覚ますと、朝の光の中に彼女の顔が見えた。
「あたしが本当に、放火すると思ったの?」
 彼女は、僕の頭をぐちゃぐちゃに撫でた。
「今日は休日だから、デートしましょ」

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