【短編】 地下鉄とファーストフードと少女
地下鉄の電車の床には、「ここは地獄だ。言葉さえ通じない」というスプレーの落書き。
車内はゴミのような匂いがするし、生きているか死んでいるか分からない人が横たわっていてたしかに地獄だ。
しかし、言葉は通じるはずだと私は思って一メートル隣に座っていた男にハローと声をかけると、男にいきなり胸ぐらを掴まれた。
「俺はハローという言葉が世界で一番嫌いなんだ!」
私は声をかけたことを後悔した。
「ハローなんて、友達みたいに近寄ってきては相手を騙すだけの言葉だろ?」
今度あんたに会ったときは言葉に気を付けるよ、と私は言って何とか男の手を振りほどき、次の駅で電車を降りた。
地下鉄の階段を昇って地上へ出ると、夜のネオンが眩しくて目が痛い。
おまけに、暗い空から白い雪も降っていて死ぬほど寒い。
私はくたびれたYシャツしか着ていないから、体温を奪われないために、とりあえず目の前にあったファーストフード店へ駆け込んだ。
店のカウンターの奥には、店員らしき老人がパイプ椅子に腰掛けながら眠りこけており、私が声を掛けてもまったく起きない。
「ハロー!」
声のする方を振り返ると、十歳ぐらいの少女が、店の奥にある客席からこちらを見ていた。
店はこじんまりとしており、老人とその少女以外誰もいない。
「そのお爺さんは二十四時間勤務で、今は休憩時間なの。でも帰る家もないから、店で眠ってるわけ」
私は少し面食らいながら、熱いコーヒーを一杯頼みたいのだけど、どうしたらいいかと少女に質問した。
すると少女は、面倒くさそうに席を立ち上がって店の厨房に入り、三十秒後にコーヒーの入った紙コップを私の目の前に置いた。
私は少女にお金を払って、ほっと息をつき、店のカウンターで熱いコーヒーをずるずると啜った。
「このお爺さん、たぶん昨日から死んでると思うんだけど、どうしたらいいかな?」
人間には寿命があるから仕方ないさ、と私。
「じゃあ、お爺さんの代わりにあんたがこの店で働いてよ。二十四時間勤務で給料もないけど、食べ物はあるから何とか生きていけるよ」
ファーストフードを一生食べ続けるのは、嫌だなあ。
「ねえお願い、このままじゃあたし一人ぼっちになっちゃうよ。ねえお願い、助けてよ」
私は、行くあてもないから結局ファーストフード店で働くことになったが、客は一人も来ない。
それに、少女は何年たっても歳を取らない。
ただ、私が歳を取るだけだ。
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