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『遺書』 1 書き始め

もうすぐ死ぬのだなと思っている。
母のところに往く。往けるだろうか。

私には医療が与えられていない。社会保障もない。市役所に行ってもひどい目にあう。
医療がないので身体の具合が悪くてもどうしようもない。自由診療で行くお金はもちろんない(そもそもそんなお金があったら世の中から排除されない。悪循環、「鶏と卵の関係」だ。)

そろそろ死ぬしかないのだなと思っている。
まあこれほどまでに頑張って無理して世の中をよくしようとしてきても、世の中から相手にされなかった。誰も耳を貸さなかったのだから、このまま生きていても無意味で、資源のムダだから。

すでに地球環境は破綻している。気候だけの問題でもないし変動なんてものでもない。私の努力は役に立たずムダにされてきたのだ。
近いうちに化石燃料もほぼ涸渇するし、いまのままでも悪化するのになおもそれを燃やしている。いずれ人類は絶滅かそれに近いところに来るし、生態系の崩壊が進んでいるのに、これからどうやって生きていくというのだろう、食べていくというのだろう?
災害は深刻になってきているのに、資源が足りなくなってきているのだから、そのうち詰むのだ。石油を好き放題に燃やして、コンクリートと鉄を使い放題なんて甘い時代はもう終わりつつある。やりたい放題のこの数百年間が異常だっただけ。

毒親から避難してきた。
いや、毒親って甘っちょろいもんじゃなくって、命からがらだった。いまも怯えながら暮らしている。
父親の思うような人生を強制された半生。
その男がいよいよやらかし、私は職場も家も追われて。
そしてこの戦争はかれこれ15年目にもなっている。長い長い避難生活も、時間の感覚がわからない。戦争はいずれ終わりそうなものでいて、終わらないものだ。侵攻されているウクライナを見ていても、しみじみ思う。
ヤツから身をまもるためにも、親類や他人を巻き込まないためにも、社会生活なんてまともにできない。そもそも普通に言って就労不能者なのだけれど、それをなんとかやりくりして、栄養状態も衛生状態も悪い中で生き抜いてきた。苛酷な安倍政権の時代も長く続いて、政治も社会風潮も逆風な中をなんとか生き抜いてきた。
いずれ終わると淡い期待もしていたこの戦争だが、ヤツがなかなか死んでくれないので未だに続いている。ヤツのほうが高齢で普通なら死んでおかしくないところを、まさか安倍元首相がのほうがこんなに早く死ぬとも思っていなかった。
ヤツよりも先に私のほうが死んでしまうのだろうから、悔しい。
祖父母と母の遺産が分割されず未だに手にしていないうちに私が死んでしまう。そしてこのままいけばヤツが、後期高齢者のくせしてこの遺産をもっていくのだろう。ヤツは昔からカネに目がなかった。

私に高学歴を要求して実現させたこの毒親。この男はお金と社会身分が欲しかったのだ。
結局はこんな高学歴は無意味で逆効果だった。頭がよすぎても経歴がよすぎても、社会から利用され尽くして、そして、はぶられる。
私は仇のアンタを養わない。養えない。

首相がかわろうが、なにもよくならない。安倍政権のツケを返さないでいて、実体経済が破綻している。現政権は実質的に、何もしない、できない。日銀も。
もう私には生計も立てられないようになってきた。
きっと、年金生活の高齢者も、老後の資金の価値が足りなくなり、終わりが目に見えてきて怯えているのだろう。
私も彼らみたいに、みすぼらしくすっかり老化した貧困者なのだから。我ながら服装ひとつ見てもそうではないか。すっかり年寄りだ。

もうすぐ私は死ぬけれど、もう手を尽くしてコレ。
だから残り短いうちに、書けるうちに、したためておこうと思い立った。(いまここ)
noteはじめました、的な。

つづく✍