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【5分で読める美しい日本語】盈月の物怪、弄月の男に廻り合う

 盈月が煌々と輝く傍ら、濃藍が広がる空を飛行する。

時は子二つ。

良い子は眠りに就かなあかんねんで。

 俺は聳りたつ建物の中に負けじと閃々とする星に溜め息を吐き、少々低い建物に降りる。

下を見ると、列を成す車の脇を愚かな人間が疎らに通っていくのが見えた。

「此の街はまだ眠らんのか」

そないな独りごちをしても誰も答えてくれへんから、時は粛々と流れていく。


 今日は収穫祭。

そして最小の満月がみられるっちゅうのにな。


 「さぁ、腹拵えや」

気力を奮い立たせ、眼を閉じる。

パッと大きく開眼すると、先程よりも遠く広く見渡せるようになった。

徒歩で廻っとると、茲より低い建物の屋上に来た男を見つけてもうた。

暫く様子を見続けたが、他には誰もけえへん。

それよりも男は入ってきたドアから離れ、俺の視界の中心にきよった。

弄月の様や。

黒檀の襟締を緩めると、白磁の首が露わになった……俺は思わず息を飲む。

「今日の餌はどえらいご馳走になりそうやな」

俺は舌舐めずりをした後、外套を広げて飛ぶ。

男は生成色で紙の湯呑を手に壁に寄りかかって三角座りをしとる。

時折、濡羽色の髪を上げて紙の湯呑に口を付け、物憂いの表情を浮かべるものの、直ぐに俯いてしまう。

男は孤独を擬人化した様な奴に見えた。

確かに今宵は孤月の御様子。

そう言えば、孤独な奴の血は濃縮されてて極めて美味やって誰かが言ってたな。

「益々ええわ」

俺は柄にも無く鼻唄を囀り、男の元へと馳せ参じることにした。


「今宵の月は綺麗で御座いますね……ご機嫌いかが? 愚かな人間よ」

 愚者の眼前に降り立つと、男は虚ろな瞳で俺を映した。

深緋の瞳に赤の差し色が入った墨色の外套を翻す俺……レヴィの容貌が吸血鬼だということは明らか。

しかし、男はどうもと小さく語り、頭を垂らすのみ。

「ただお前は選ばれし人間や。 収穫祭の為の生け贄にしてやるわ……ええか?」

俺は掠れた声で男に述べる。

「いやって言うてもええんか?」

男は目を反らさずに霧雨の様な声色で語った。

「拒否権があるわけなかろうが」

当たり前やろ、格好の獲物の逃す訳ないやろ。

「なら、なんで聞いたんじゃ」

男は飲んでいた湯を噴き出すかの様に笑った。

なんや此奴……怯えてへんわ。

 
 「俺でええの?」

男は未だ瞳を反らさず、問いかけてきよる。

「アンタがええんや」

自信満々に言う俺の言葉を聞いた男は紙の湯呑を地面に置いて立ち上がる。

開襟シャツの釦を二、三個外し、露出した白磁の首筋を見た俺は直ぐ様、牙を肌へ食い込ませた。

「んっく、んっく、んっく」

赤子が母親から乳を貰うように一心不乱に吸う。

仄かに温みが有る蜜が頬を掠め、咽喉へとするりするりと流れていく。

 甘味が濃く
 渋さは全く無く
 滔々と流るる

此様は正に、美味としか言い様が無い。

「そない急がんでもええよ、逃げへんから」

男はポンポンと俺の頭を撫で、吸い易くなる様に躰を下げていく。

 そのお陰か、より滑らかに流れて来るから、永久に味わえる様な錯覚に陥る。

ああ、ええわ

俺は段々と心持ちを沈静化していった。

 暫くして男の躰が小刻みに震え始めてきよった。

息吹は腹が膨れた蚊の羽音の様に浅い。

此の現象は……溶血や。

恐らく俺の吸血鬼の血が混じってしまったんやわ。

此の儘では男を待つのは……死のみ。

唖然とする俺の耳にフッと吐息が漏れた。

"このまま堕ちてもええわ"

俺は其の様に囁かれた気が申した。

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