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【代表紹介②】はじめまして!秋葉原クリエイティブの北山 洋樹です。

皆さん、はじめまして!
秋葉原クリエイティブ株式会社(AKC)の代表を務めている北山 洋樹(きたやま ひろき)と申します。

秋葉原の良心的なデザイン、WEB制作屋さんの社長をやっており、
街の電気屋さんのような地域に愛されるホームページ屋さんとして、
WEB制作の悩みを全てあそこにいけば解決できると言われる、
クライアントにとって、一番身近で良心的な会社をめざしています。

前回の投稿に引き続き、社会人1年目〜秋葉原クリエイティブを創業するまでの軌跡に触れながら、北山 洋樹のご紹介をしたいと思います。

※前回の投稿はこちらです。

(ここまでのまとめ)

  • 中学まで卓球部に所属。中学時代は体脂肪率35%で根暗だったが、学区外の高校へ進学し、晴れて高校デビューを果たす。

  • 高校からライフル射撃を始め、インターハイ団体優勝、個人4位入賞という結果を残す。

  • ライフル射撃部での後輩育成をきっかけに「教育」に興味・関心を抱く。

  • 大学では教師になるべく学生生活を送るものの、教育実習で実際の教育現場と自分の目指す姿のギャップを知り、教師ではない道を目指す。

  • 教師ではなく、社長を目指す(笑)、そしてサラリーマンの世界へ。

■目次
1.北山 洋樹とは?
2.中学・高校時代について
3.大学時代について
4.社会人時代①について(1社目:中古車販売会社)
5.社会人時代②について(2社目:メガベンチャー企業、3社目:社員数  
  5名の零細企業)
6.起業について(秋葉原クリエイティブの創業まで)
7.これからの秋葉原クリエイティブ(AKC)について

4.社会人時代①について(1社目:中古車販売会社)

■入社1年目で経験した大きな挫折

教育者ではない道を歩むべく、就職活動に取り組み、新卒で入社したのが、中古車販売会社でした。

こちらの会社を選択した理由は、”本社が東京の都心にある””世の中に インパクトのある大きな仕事ができそう”と思ったからです。(笑)
当時、就職が難しい時代なのにも関わらず、このような理由で就職活動していた人は、おそらく私以外いないと思います。
さらに、車にはそれほど興味がないのに、”中古車販売会社に入る”という、なかなかチャレンジングなことをしていました(笑)

こうした状況の中で迎えた、私の社会人生活は、入社式での新入社員代表者スピーチで始まりました。それも、約140名の新入社員の中の代表としての スピーチでした。

今だから言えますが、この時、新入社員の代表に選ばれたことで、周りの新入社員より”出来る”と勘違いし、天狗になっていたことを今でも覚えています。

新入社員の代表として、1年目の社会人生活をスタートしたのですが、
入社1年目早々に、この天狗になっていた鼻を折られることとなりました。

入社1年目は、中古車販売の個人向けの営業を行なったのですが、1年目を 終えた段階で、新入社員の販売実績ランキングが、”下から2番目”という、想像もしていなかった結果となってしまいました。。。

新入社員代表スピーチを実施した社員にもかかわらず、ほほ最下位という、衝撃的な事態でした。

ですが、この経験は、私を大きく変えてくれました。
1年目の成績を踏まえ、私自身、プライドの塊だったことを反省し、
言われたことはすぐやる、②全部やる、③飲み会には全部行く、
と覚悟決め、業務に取り組むこととしました。

その後、様々な苦労はありましたが、1年目の挫折を経験できたこと、そしてその経験をシッカリと受け止め、自分自身を大きく変えることができた  結果、創業以来最速で”本社課長昇格”という実績を残すことができました。
 
この時に学んだ「プライドを捨て、覚悟を決めれば人は変われる」ということは、現在も大切にしている信条の一つであります。

■2名から始めた新規事業開発(中古車CtoCサービスの立ち上げ)

個人向けの営業を2年経験した後、新規事業の立案・実行を行う、新規事業開発部門へ異動となり、新たな中古車CtoCサービスの立ち上げに携わることとなりました。

先に結論からお伝えすると、この新規事業の立ち上げは、とても大変だったのですが、”今の自分を作り上げた”と言っても過言ではありません。

新たなサービスを立ち上げたものの、この頃、中古車市場が急拡大した影響で、現場での出品プレッシャーの高まりなどにより不正出品が横行しておりました。その影響を受け、出品車数が激減し、新規事業立ち上げ期から、 事業部存続の危機に陥ることとなりました。

”このまま大丈夫なのか?”という不安はありつつも、できることをコツコツと積み重ねるしかなかったので、約1年間は、事業採算に注力するのではなく、顧客満足度向上に重点を置いて取り組みました。
その結果、新規事業立ち上げから3年目には、事業部単年黒字を達成する ことができ、その後、売上も大きく伸ばすことができました。

新規事業開発に従事することで得た、事業をゼロから作り出すために、企画からCS、営業、マネジメント、を全てを経験することができたことは、経営者としての今に大きく活きていると思います。

この部署から卒業する頃には、2名から始めたこの事業を、最終的に60名規模の組織へと拡大・成長させることができました。

現在の自分の約6割〜7割を作り上げているのが、新卒で入社した中古車販売会社での経験です。
また、秋葉原クリエイティブでのWEB制作事業と中古車販売のビジネスモデルは似ている点が多く、人間的な成長ができただけでなく、経営者として、事業を進めていく上での多くの学びが、現在でも活きていると感じています。

5.社会人時代②について(2社目:メガベンチャー、 3社目:社員数5名の零細企業)

新卒で入社した会社で多くの学び・経験と積むことができたのですが、
「社長になる」という目標を持っていたこともあり、違うフィールドで成長してみたい、力を試したいということから、スタートアップ企業への転職を決意しました。

■社員数30名のメガベンチャー企業へ転職(2社目)

転職した初めての会社は、メガベンチャー企業でした。
これまでの会社とは違い、資金も潤沢ではなかったので、お客様を作っていく(営業活動)一つとっても、人の労力を使わないといけない状況でした。
これまで実施したことのない、アウトバウンドコールを実施するなど、顧客をイチから開拓していくことから取り組んでいました。

また、IT系のベンチャー企業だったこともあり、技術(アセット)をもとにお客様への提案活動を行っていましたが、当然、大企業と競合になることも多く、こういう状況の中、”どのようにすれば受注を勝ち取れるのか”
これまで経験してこなかったBtoB向けの「営業スキル」を身につけれた
と 思います。

全て、”自前でなんとかしないといけない”、こうした厳しい環境下において、仕事を進めることの難しさ・大変さを学ぶことができました。

■社員数5名の零細企業(3社目)

次に転職した会社は、前回よりも更に社員数が少ない零細企業でした。
当然、これまで働いていた会社の中で、何もかもが足りておらず、ここでは、会社というより、個人(北山)として、仕事をしていました。(笑)

主に、経営戦略の立案・推進を担当することになるのですが、当該の企画立案・推進の業務だけでなく、営業、マネジメント、事務処理などを全て一人で行い、さらに、全ての業務に責任を持つという”ほぼ社長状態”、で仕事を進めていました。

会社というより、個人(北山)として仕事をすることが多かったため、この時に ”人脈を持つこと” の重要性を身に染みて感じることができました。
こうした ”人脈” を活かして業務を進めるという経験は、とても貴重なことであったと考えています。

6.起業について(秋葉原クリエイティブの創業まで)

大学を卒業後、1社目)大企業で社会人としての基礎を築き、2社目)メガベンチャー企業で個人の更なるスキルを磨き、3社目)零細企業でほぼ経営者に近い経験を積み、目標であった起業を行うことになりました。

これまでの略歴だけを見ると、”社長になるために必要な経験をシッカリと積んできた”ように見えますよね。
全て計画を立てて歩んできた訳ではないのですが。(笑)

■創業1社目(新規事業開発支援)

創業した1社目では、これまでの新規事業開発などの経験を活かし、新規事業開発支援を行ってきました。

この会社では、主に、お客様の新規事業の企画・立案から携わり、その後の推進までを支援するという事業を行っていました。

実は、この創業1社目の会社で事業を進めていく中で得ることができた、 「新規事業開発にはWEB制作の役割は重要である」という経験と、
「瀬川という男との出会い」により、現在の秋葉原クリエイティブを創業(2社目)することとなりました。

■創業2社目(秋葉原クリエイティブ)

「新規事業開発にはWEB制作の役割は重要である」と、先ほど記載しましたが、新規事業を企画し、推進していくにはWEB戦略が重要になってきます。そのため、必然的に ”WEBサイト” の重要性は高まり、創業1社目での新規事業開発の中で、多くのWEB制作に携わる機会がありました。

実は、「瀬川という男との出会い」の話にも繋がるのですが、このWEB制作を外注していた、依頼先(パートナー)の一人が、瀬川でした。

▼ 弊社No2になる瀬川という男の出会い
少し繰り返しになりますが、創業1社目の会社で新規事業開発支援を行っている中で、多くのWEB制作の依頼を受け、パートナー会社の外注を行っておりました。そして、そのパートナーの一人が瀬川でした。

こうした中、ある出来事が起きました。
新規事業開発の支援をしていたある案件のWEB制作を、瀬川へお願いすることとなりました。これまでどおり、クオリティの高いWebサイトを仕上げ、お客様へ納品をしたのですが、そのお客様からWEBサイトに関するクレームを立て続けにもらうこととなりました。

瀬川は、優秀なパートナーであったこともあり、これまでほとんどクレームをもらったことがなかったようで、この案件のクレームは、本人にとっても相当ショックだったようです。さらに、クレームをもらう経験が少なく、お客様に対する事後対処がうまくできずに、お客様を怒らせてしまうこととなりました。

この時は、私がお客様との間に入り、責任を私が被るカタチで、ことなきを得ることができましたが、この出来事をきっかけに、私はあることを思いました。

仕事をお願いする立場として、自分自身の成長だけでなく、こうした”依頼先もシッカリと育てていくのが私の責任”なのでは、とそう思いました。

おそらく、学生時代の ”教育者を志した想い” が、私をこのように思わせたのはないかと思います。

この出来事をきっかけに、瀬川を私の会社に呼び込む形で、WEB制作をメインとする秋葉原クリエイティブを創業することとなりました。
(元々、WEB制作のビジネスは、需要があるとの見立てもありましたが。)

(左)北山代表、(右)瀬川取締役

彼との出会いがなければ、秋葉原クリエイティブを創業していなかったと思います。そして、彼は、”社員を育てていく” という、現在の秋葉原クリエイティブで大切にしていることを体現した、一人目でもあります。

7.秋葉原クリエイティブ(AKC)のこれからについて

秋葉原クリエイティブ(AKC)は、街の電気屋さんのような地域に愛されるホームページ屋さんであり、ホームページの悩みは、全てあそこにいけば解決できると言われる身近で良心的な存在であり続ける会社を目指すとの理念のもと、ホームページ制作を中心にWEBサイトの制作を行っております。

少し、今後の秋葉原クリエイティブに触れたいと思いますが、短期的には、5年〜6年かけて全国各地に店舗を展開していきたいと考えております。

そして、最終的には、クリエイティブグループとして約100名の雇用を生み出していくというのが私たち(AKC)の目指す姿となります。

また、雇用を増やしていくとともに、私たち(AKC)は、働く仲間の成長もシッカリと応援していきたいと考えています。
会社を通じての自身の成長のみならず、プライベートでの目標の達成に貢献できるよう、定時退社などといった”ホワイトな働き方”も推進しています。

現在、私たち(AKC)の仲間の一人は、デザイナーとして働くとともに、 帰宅後の時間を活用しながら、漫画家として働いています。

特に、世の中の多くのクリエイターは、自身の夢を実現するまで、苦しい生活をしていると聞いています。私たち(AKC)は、こうした人たちに、安定した職場を提供も行っていきたいと考えています。
そして、一人でも多くの夢の実現に貢献し、会社としても、個人としても、成長できる環境の実現に向け、これからも取り組んでいきます。

こんな私(北山)、私たち(秋葉原クリエイティブ)でありますが、
引き続き、よろしくお願いします。


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