【代表紹介①】はじめまして!秋葉原クリエイティブの北山 洋樹です。
皆さん、はじめまして!
秋葉原クリエイティブ株式会社(AKC)の代表を務めている北山 洋樹(きたやま ひろき)と申します。
秋葉原の良心的なデザイン、WEB制作屋さんの社長をやっており、
街の電気屋さんのような地域に愛されるホームページ屋さんとして、
WEB制作の悩みを全てあそこにいけば解決できると言われる、
クライアントにとって、一番身近で良心的な会社をめざしています。
今回は、私自身の紹介とともに、秋葉原クリエイティブのことについて知ってもらう機会にできればと思っています。
少々長くなりますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
■目次
1.北山 洋樹とは?
2.中学・高校時代について
3.大学時代について
4.社会人時代①について(1社目:中古車販売会社)
5.社会人時代②について(2社目:メガベンチャー企業、3社目:社員数
5名の零細企業)
6.起業について(秋葉原クリエイティブの創業まで)
7.これからの秋葉原クリエイティブ(AKC)について
1.北山 洋樹とは?(どんな家で育ったの?)
私は1990年6月8日、宮城県富谷市に生まれました。
富谷市は仙台市の北部と隣接しており、宮城県の中でも比較的都会に近い方ですが、とても自然も豊かな街です。
父、母、弟の4人家族で、自然に囲まれながら育ちました。
2.中学・高校時代について
■ あまり積極的ではなかった中学時代
中学時代では、卓球部に所属していましたが、体脂肪率 が35%もあり、当時はあまり部活動に対して積極的に取り組んでおらず、どちらかと言えば、 根暗な感じの学生生活を送っていました。
こうした中学校生活を送っていたこともあり、自分を少しでも変えたいという思いから、スポーツに力を入れている学区外の高校へ進学を決意し、無事に高校デビューを果たしました。(笑)
■ 人生を大きく変える”きっかけ”となった高校時代
高校時代では、ライフル射撃部に入部し、日々、練習に明け暮れていました。この後、当時のエピソード等について触れていますが、この"ライフル射撃との出会い"が、現在の私を作ったといっても過言ではありません。
ライフル射撃とは、10m先の的を狙い固定された標的の中心を銃で狙って撃ち、命中した弾丸がどれだけ標的の中心に近いかによって、得点の高さを競う競技です。
このライフル射撃という競技で、何とか1番になってやる!、これまでスポーツができなかったという自分自身を変えてやる!、そんな強い思いのもと、日々、練習に取り組んでいました。
多分、、、いや、間違いなく”日本で一番練習”をしたと思っています。
その結果、最後の高校3年生の時に、団体で全国優勝、個人で全国4位入賞という結果を残すことができました。
最終的に、団体で全国優勝できたものの、実は 3 位との表彰台に立てるかの違いは 「0.1mm 内側に撃てるか」の僅かな差でした。
この結果を受け、どれだけ頑張っても努力だけではどうしても埋められない差があることを学びました。
「自分の立ち位置を明確に把握し、勝てるポジションをひたすら取る」
現在、経営者として、大切にしていることの一つでもありますが、この学びを得ることができたのは、この高校最後の全国大会でした。
先ほども記載したとおり、ライフル射撃は個人戦だけでなく、団体戦もあります。そのため個人競技として技術を磨くだけでなく、チームとして競技することもあったため、先輩として後輩の育成を行う機会は多くありました。
最終的な結果として、団体戦で全国優勝できたこともあり、部活動を通じて、後輩の育成に取り組むことの楽しさ、嬉しさ、そしてやりがいを経験することができました。
この時に感じた・学んだ、”教育者としての楽しさ・やりがい”は、現在、秋葉原クリエイティブの社長としての根幹の部分であり、私自身の原点でもあります。
3.大学時代について
高校時代には、ライフル射撃に取り組んでいましたが、大学生になってからは、高校時代でのライフル射撃部での経験から「教育」というものが自分に合っているのではと思い、教職員を目指し学生生活を過ごしていました。
大学での授業も、教師になるために必要な講義を中心に受け、教育者としての将来を見据え、勉強に取り組んでいました。
将来、先生として、学生たちの道標になれるように、また、ライフル射撃部の顧問として、多くの学生の背中を押していける存在になりたいと、当時は考えていました。
こうした思いを持ちながら、教員免許の資格取得に必要な「教育実習」を母校で受けることになったのですが、実際に、教育現場に身を置いてみると、少し違和感を感じました。。。
教育現場は、良い意味でも閉鎖的な環境だな。
やはり、ビジネス(お金儲け)の世界とは大きな乖離があるな。
子供たち(学生たち)の成長を支援するということの”喜び””やりがい”は、強く感じたものの、自分の両親の働く姿や、既に社会に出ている先輩、大学時代に出会った人たちを見ていると、本当に「教育者」として、教育現場のみで働いていくことが自分自身にとって良いものなのか、疑問に思うようになりました。
そして、色々な方に相談し、違う形でも「人の支援はできる」ということで、一旦、教師という道を歩むことはやめることを決意しました。
教師を諦めるという選択は、今でも後悔はしてません。
この時感じた「モヤモヤ」を抱えながら、教育者になったとしても、本当の意味で学生たちと向き合うことはできなかったと思います。
教育者としての目標の変更を求められ「サラリーマンになるしかない」という決意をするのですが、教育者としては、何かしら携わりたいなと思っていたところ、、、社長になれば、教育者としての想いも体現でき、ビジネスの世界でも活躍して社会へ貢献できるのでは、と思い、いつか社長になることを目標にし、社会人生活を始めることとしました。
今考えると、かなり安直だったなと思いますが、これが社長を目指すことになったきっかけの一つです。(笑)
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本日はここまでとさせていただき、続きは「代表紹介②」でお伝えしたいと思います。
次回の「代表紹介②」では、社会人1年目〜秋葉原クリエイティブを創業するまでの軌跡に触れながら、北山 洋樹のご紹介をしたいと思います。
(ここまでのまとめ)
中学まで卓球部に所属。中学時代は体脂肪率35%で根暗だったが、学区外の高校へ進学し、晴れて高校デビューを果たす。
高校からライフル射撃を始め、インターハイ団体優勝、個人4位入賞という結果を残す。
ライフル射撃部での後輩育成をきっかけに「教育」に興味・関心を抱く。
大学では教師になるべく学生生活を送るものの、教育実習で実際の教育現場と自分の目指す姿のギャップを知り、教師ではない道を目指す。
教師ではなく、社長を目指す(笑)、そしてサラリーマンの世界へ。
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