見出し画像

最大・最悪の社会問題

『児童虐待は、アメリカで最も深刻で最も費用のかかる公衆保健問題だ。
児童虐待の問題の対応にかかる費用の合計は、癌にかかる費用も、心臓疾患にかかる費用も上回るし、児童虐待を根絶すれば、うつ病の割合を半分以上、アルコール依存症を3分の2、自殺や静脈注射薬の使用、家庭内暴力を4分の3、減らせるという。

また児童虐待をなくせば、職場での勤務成績にも劇的な効果をもたらし、投獄の必要性が大幅に減少するだろう』
『身体はトラウマを記録する』より

もうすでに、トラウマの研究者たちは、この当たり前のロジックに気づいている。
疑いもなく、社会の経済状況や犯罪発生率と児童虐待の因果関係はあるのです。
生まれた瞬間から可能性のない子どもなどいません。
生まれた瞬間から反社会的な素質を持った子どもなどいません。
全ては、その子が生まれた後から関わる大人によって、作り上げられてしまうのです。
まだ何者にもならない子どもを、善人にするか悪人にするかは、その周りに居た大人の『全責任』なのです。

しかしあまりにもその責任が軽々しく捉えられている……というか、そこまでの覚悟を持って子どもを生もうとした人など、全世界でもごくわずかなのだと思います。
むしろそんな責任の重い仕事なら、子どもを持たないと考える方が自然です。
良識のある夫婦は、不幸な子どもを作らないために『家族計画』に取り組むと思います。
漠然と「何とかなるだろう」と本能のままに性交渉をした結果、妊娠してしまったという夫婦ほど、子どもをたくさん産んでいるという皮肉。
そして動物の多頭飼いが崩壊するかのごとく、安易に虐待に走っていく…‥。
社会が貧困化、低俗化していくのと、子どもが増えていくことが残念なことに比例して行ってしまうのです。

動物なら、子孫を多数残すことは、その種族にとって最大の利益になります。
動物の生きる意味は、子孫を残すことなので、そのために親だけでなく、一族ともに子育てに全力を尽くします。

子は宝
という言葉は、まだ人間が動物の本質をわきまえていた頃に出来た、最大の真実なのでしょう。

子ども時代が無かった大人など居ません。
なのになぜ、自分の子ども時代を忘れてしまったかのように、次世代の子どもをぞんざいに扱うのでしょうか?
それはもう何世代も前から、子どもをぞんざいに扱う風習が続いてきたため、自分もぞんざいに扱われたから、同じように扱ってしまうんだと思います。
そしてどんなにぞんざいに扱われても生き残った自分がいるので、子どもなどぞんざいに扱っても生きられるものだと思い込んでいるのです。

確かに生体機能だけは失くさずに済みました。
けれど見えない『精神』『心』『神経』はボロボロなのです。
言うなれば、人間の皮膚をまといながらも、中身は藁の、かかしのようなものです。
かかしには心が無い。

ふと、『オズの魔法使い』を思い出しました。
主人公ドロシーに付いて冒険をしたカカシは、本当の知恵を、ブリキの木こりは心を、オズの魔法使いに授けてもらおうとします。
作者は、世の人間がカカシやブリキの木こりに『成り下がって』きていることに気づいていたのかもしれません。
しかしそれでも、「何かがおかしい」と気づくことが、本来の人間性を回復させるキッカケになること、その思いを持ち続けて生きていることが、回復につながることを、暗に示唆していたのかもしれません。

人間の心を失わされた悲しい子どもが親になり、何もわからないまま子育てをする。
そしてまた、その子どもが親になり……
気づく人はとてもとても少数派であり、気づいた人ほど苦しむようになっています。
けれどその苦しみが、後世を正常化していく小さなキッカケになるのだと信じて……
むしろ、自分が犠牲になっても気づかなければ、後世のまた後世と、何万人、何十万人を苦しめることにつながるのだと思えば、気づいて闘っている自分が少し誇らしく思えるかもしれません。

現象は、真実のほんのわずかな部分しか映し出さない。
あとは自分が何を信じて生きていくのか?
ありとあらゆる書物、知識、常識の中から、何を選んで信条とするかは、個人に一任されているのでしょう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?