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自分の中の鬼

アニメの鬼滅の刃が好きで、観ています。
新シリーズも、完結してしまいましたが。

過去、「ただ鬼を倒していく話でしょ?」と、ファンの人の前で空気を読まない発言をしてヒンシュクを買った私ですが、アマプラで最初のシリーズを見始めたら、やめられなくなり……。

ただ、あまりにもグロテスクな話や画像なので、衝撃的だったのは事実。
小さな子とか、フィルター無しで観せて良いんだろうか?と、未だに疑問ですが。

何がそんなに夢中になるのかといえば、鬼と、鬼に襲われた人たちのエピソードが、「人生には、こういう理不尽なこと、たくさんあるよね」と思わされるのです。

アニメだから、鬼と、鬼に襲われる人たちと、鬼を退治する人たちと、わかりやすい象徴的なキャラで描かれるけど、鬼を『加害者』としてみれば、現実にも、鬼になってしまった人、鬼に襲われてしまう人、鬼と戦う人で、人間社会は構成されているんじゃないかと思うのです。

例えば、毒親は、まさに鬼です。
鬼に喰われた人間は、命を落とす場合もあれば、自ら鬼になる場合がある。
毒親によって、本来の自分を喰われてしまったら、毒親を恨むのではなく、毒親目線で世の中全てを恨むようになることも、少なくないのだと思います。

結局、被害者であったはずなのに、生まれた時から自分というものを喰われてしまっているから、鬼として生きるしか無くなる。
人間はそんなに強く無いから、鬼を退治するよりも、鬼として生きる方に流れてしまう場合がほとんど。

そこに抗って、新しい秩序を生み出そうとしているのが主人公とその妹なんですよね。

ただ残念なのは、主人公の原動力が、大切な家族への愛情だということ。
やはり健全な家庭に育つことこそ、人間が逆境に耐える力になるんだろうなと思うと、ちょっと切ない気もします。

多くのヒーローものの原動力って、家族への愛情として描かれることが多い。
家族というアイテムではない何か大きなものが、ヒーローのパワーになるような話を期待したいところですが、そうすると、ウルトラマンのように、宇宙人として描かなくちゃいけなくなっちゃうのかな?

あれ?
そういえば、ウルトラマンも、家族愛強いんだよね。

これからのヒーローは、家族が無くても、正義の心と愛情を持てるという話にしてほしいな。

新しい価値観を切り開く!というところは、鬼滅の刃の主人公に、とっても共感するところです。
そして、それは苦しんで、悩んで、迷って、絶望して、また立ち上がって作り上げていくような、大変な冒険物語なんだろうな、というのも、人間の核心を突いているな、と感心して観ています。

鬼滅が人気になるというのは、そういう正義の心を持ちたいと思っている人が多いという希望でもあるのかも?

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