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何かがちがう

うまくいきません。いろいろと。
誠意を持ってやっているつもりが、空回りしたり、恨みを買ったり……
私という人間が、あまりにも社会から逸脱しているのではないか?という疑念まで浮かんできてしまいます。
さて、ここで状況を冷静に分析することが大切。
特に対人関係は、相手があることなので、私の側の事情だけでトラブルになったということはありません。
私の人間性に原因の多くがあったとしても、それを受け止めたり受け流したりできる人もいれば、そこが絶対に許せないという人もいる。数%ほどは、受け止める相手にも原因があるのです。
こんなことを書くと、
『それだけトラブルを起こしておいて、何開き直っているの?』
と反感を買いそうですが、良い悪いは別として、こういう状況下でトラブルになったという事実だけが事実なのです。

テレフォン人生相談でお馴染みの、加藤諦三先生の
『いつも自分ばかり責める人』
という本を読んでいます。
加藤先生が名付けた『被責妄想』という言葉が、私の状態をよく表しています。
私の感じる『トラブル』は、もしかしたら相手にとって『トラブル』では無かったかもしれない。
被責妄想の人は、相手が
「ゴミが落ちているね」
と言っただけで
「早く拾いなさいよ」「何で掃除をしておかないの?」など
攻撃や命令や嫌みを言われたと勘違いしてしまうのだそうです。
なぜかと言うと、子どもの時に、本当に親から、攻撃や命令や嫌みを含んだ『暗黙の裏がある言葉や態度』を投げつけられていたからです。

私の母はよく、
「お母さんは、あなたたちのためにやりたい仕事も諦めて主婦になったの。本当だったらもっとバリバリ働いていたはずなのよ」
と言っていました。
酷い時には、父と結婚する前に4人も求婚者が居て、たまたま父と結婚した(してしまった)みたいなことも言っていました。
子どもの私には
「お母さんはモテたんだな」「お母さんは頭が良くて仕事ができるんだな」
という感覚でしたが、母を他人に自慢する気にはなれないし、母を尊敬する気にもなれませんでした。
大人になって考えてみれば、我が子にする話では無いし、父に対しても家族に対しても失礼です。
母は、大人としてその線引きができなかった。
それなのに、子どもの私は、
「父と母は本来結婚するはずの人じゃなかったんだ」
「私が生まれたから母は人生が狂ってしまったんだ」
という罪悪感を持つしかありませんでした。

加藤先生によれば、この幼い頃に感じた罪悪感こそが、一生その人の人生の『足かせ』になってしまうのだというのです。

母にとっては何気ない話だったのかもしれませんが、裏を返せば、『子どもを生まなければ私の人生はもっと充実していた』ということになりますし、母の愛を必要としている子どもにとっては突然荒野に置き去りにされたような気持ちになります。
その時の絶望感、悲しみ、寂しさは、体中が冷え切っていくような感覚、手足がこわばって心臓がドキドキする感覚、目に見えるものが歪んでぼやけているような感覚、喉の奥が渇くような感覚です。
心の中が涙でいっぱいになって、泣き出したい気持ちなのに、顔はヘラヘラとひきつり笑いをするしかない。
自分自身の存在を透明にしてしまいたくなる感覚です。
この身体感覚こそが、トラウマによる体の反応です。
とてもとても不快で、生きている心地がしません。
それでも生きていかなくてはいけないので、自分という人間を叱咤して『どうせお前は誰からも必要とされていないんだよ』と自分自身に痛みを味合わせてみたり、すべての思考を止めて成り行きに任せてみたりします。
そうすれば少しは生きつなぐことができるのです。
自分を叱り続けることに使命感を感じたり、何も考えないで刺激を極力避けようとしたり……。
どうやっでも、親に見限られたという無念の想いは、解消できるものではありません。

自分自身が深く傷ついてボロボロなのは自覚出来るようになってきました。
問題なのは、その傷ついて半分ヤケになっている自分が発する言葉や見せる態度に、他者から攻撃的に捉えられてしまうものが多くあることです。
理屈ではわかります。
そもそも自分の命を大切に思えないので、他者の命もそれほど大切に感じられていない。
そして、自分に余裕が無く、常にどうやって生きつなごうかとはかり考えているために、他者の様子や気持ちを推し量る余裕が無いのです。

もともと傷ついて苦しんでいるうえに、他者に対しても冷たい態度(自分ではそういうつもりはなくても)を取ってしまうため、愛想を尽かされたり、傷付けられたと訴えられたりして、親以外の人からも恨みを買ってしまうこと多いのです。

これではいつまで経っても人を信用できず、相手の様子に気遣うこともできません。
そうやって自ら孤独に陥っていってしまう。

加藤先生によれば、ひたすらひたすら、

自分が悪いわけではない、
過去の問題は今とは関係ない、

と言い聞かせることが大切なのだそうです。
長い長い修業の道のりです。

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