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淡々と生きる

立派な○○になりたいとか、
良い暮らしがしたいとか、
お金持ちになりたいとか、
自由に好きなことをやりたいとか、
人にはいろいろな目標があります。
子どもたちにも
「将来何になりたい?」と聞いたりします。

夢や目標を持つことは良いことだと言われがちですが……。
人間は明日をも知れない命です。

難関大学を目指して寝食を惜しんで勉強に励んでいた生徒が、突然の交通事故で亡くなってしまうかもしれない……
そうなったら、その生徒の人生はいったい何だったのか?と思いたくなってしまいます。
本人もきっと、そう思うでしょう。

だからといって、日々を、目的も無く、刹那的に生きるのも違います。
それもまた、自分の人生はいったい何だったのかわからなくなるでしょう。

適度な目標を持ち、それを目指しながら
日々、淡々と生きる

これこそが充実した人生の送り方なのではないかと、最近思うようになりました。

社会人は、社会に貢献し、人々の役に立つ仕事をするものだ、と思われていたとしても、果たしてそれを実現できている『ご立派な社会人』が何人いるというのでしょうか?
大企業に入って、「社会に貢献する仕事」と意識してやっている人が何人いるというのでしょうか?

多くは自分の生活を守るためにお給料をいただきたいから、『働いて』いるんじゃないかと思います。
それが1番正しくもあり、でもそれだけでは虚しい生活になってしまいます。

生きるというのは、まず生活の基盤を作った上で、もっと社会に役立つことを考えたり、自分自身の良さを発揮して生活することを考えたりするもの。
お給料をいただいて働く、というのは、まだ生活の基盤を作る作業をしている段階に過ぎないのです。

日本は、その生活の基盤を作る作業さえも、楽に出来ない貧しい国です。
生活の基盤を作るために必死で働いても、その労力に見合う給料はもらえず、その中から税金として吸い上げられて、それが還元されることなく、金に卑しい人間のところに流れるような仕組みを勝手に作られてしまう。
だから多くの人が、生きているようで、『生きて』いないのです。

こんな悲しい、悔しい話はありません。
生活水準を上げることが期待できないのなら、せめて今の生活基盤の上で、夢を持ち、人と人とがつながって、ただの労働マシーンにならない工夫をしていきたいものです。

心を豊かにするのは0円です。
でも衣食住が足りていないと、マイナスから始めなければなりません。

衣食住が足りずにその先に進めない人。
足りているのに、もっともっとと良い暮らしばかりを求めて、その先に進めない人。

明日どうなるのかもわからないのに、そんな虚しい日々から抜け出そうとも思わない、悲しい人たちが増えています。

せめて、自分だけは、自分のやりたいこと、やるべきことを目指しつつ、『淡々と』暮らしていきたいものです。

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