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失敗作の気持ち

人間関係の不和、気持ちのコントロールの難しさなど、私に今も降り掛かる問題は生育歴にあり、それは親に被害を訴えて謝ってもらって解決するようなものではないことが、ハッキリとしてきました。

幼少期のことなど記憶も曖昧だし、過ぎた過去を思い返しても何の問題解決にもならないと思って、記憶に蓋をし、とにかく今起きている問題に対処していくしかないと思っていたのですが、あまりにも似たような問題が続いて、これは目の前のことに対処しているだけでは一生同じ問題に悩み続けるのではないかと気づいたのです。

現在でも、私の振る舞いは幼少期に身につけたものの影響を受けています。
幼い私が、親から受ける酷い仕打ちにどう対処するのか、最終的な生き残り方法を幼い頭で編み出し、それがデフォルトとなってしまっています。
それはまさに生き残るための最終手段であって、『人と打ち解ける』『人と楽しく過ごす』というものではないのです。
私が他人と気楽に付き合えるような雰囲気を醸し出していないため、他人の警戒心や拒否反応を引き出してしまうのではないか。
そもそもの雰囲気が近寄りがたかったり、攻撃的にも見えてしまうことが原因でトラブルに発展してしまうのではないか。
それらのトラブルが起きてから事後的に対処したとしても、根本的な問題解決にはつながらないのです。

根本的な問題……
母はなぜ、幼い私に酷い仕打ちをしたのでしょうか?
しかも無自覚に、むしろ良かれと思ってやっている。
私を厳しく躾けることで、私が良識と常識をわきまえた社会人として育つと信じていた面があります。
ただ、私自身が子どもを持ってわかったのは、本当に子どもに愛情を感じていたら、その『厳しくする』ことにも心の痛みだったり、罪悪感が少なくともあるはずなのです。
「ちょっと厳しく言い過ぎてしまったかな?可哀想なことをしたかな?」
まともな親心があれば、必ずそういう葛藤と向き合うことになる。
そして最終的に子どもを見限ったり、存在を無視したり出来ないはずなのです。

自分の子どもを育ててみて、明らかに母の態度は私という娘の存在を見限っていました。
誰に託すわけにもいかないから、仕方なく育てたという感じがありありとわかります。
そして自分の子どもとして育てるなら、世間で『良い子』と言われるようにしておきたい。
だから自己流の『躾』をおこなった。
そもそも私への愛情からではなく、自分が世間か後ろ指を差されたくない。その一心で「立派になるように育てた」わけです。

衣食住をきちんと用意していたので、ネグレクトではありません。
身体的虐待は無く、心理的と言っても直接暴言を吐かれたわけではありません。
虐待の定義にはどれにも当てはまらないのですが、完全に私という存在を疎んじていたのです。
しかしこの『存在の無視』こそが、子どもには殺されるのと等しいショックを与えるのです。

母は、自分では良く育てた(とりあえず子どもが自立し人並みの生活を送っている)と思っているので、どんなに言葉を尽くしても理解することは出来ないでしょう。
さらに、私以外のきょうだいや他人に対しては愛情深く接することが出来るため、私だけが勝手に捻くれていると捉えるかもしれません。
他の人に対するのと私に対するのでは、何がどう違うのか、それを説明するのは難しいのです。

さて、母が何故、私だけを見限るようになったのか?
1番の関心事はここにあります。
以前からnoteに書いてきたように、母は、私が生まれた時から『育ちの良いお嬢様に育てたかった』という願望があり、発語も乏しい乳児に「お父様、お母様」と呼ばせようとしたり、2歳児にテーブルマナーを学ばせようとしたというエピソードがありました。
人間の発達段階をガン無視して、そんなことを吹き込もうとしても、失敗するのは当然です。
何をどのように躾けようとしたのかはわかりませんが、物心つく頃には、引っ込み思案で神経質な子どもが出来上がっていました。
さらには病弱でしょっちゅう熱を出して寝込み、看病が大変だったので、祖母を呼んで看病を押し付け、祖母ともども離れに隔離するということを繰り返しました。
私が誕生したとき、母には、「お姫様のような美しく健康的でおしとやかな娘に育てるぞ!」という夢が膨らんだのでしょうが、その夢はことごとく打ち砕かれてしまったのでしょう。
母はとても若かったので、そんな幼稚な考えで子育てをしていたのです。
しかし現実離れしたそんな夢は実現するはずもありません。
さらに、親として本当に必要な愛情を掛けなかったために、娘は無口で無表情で陰鬱な、母の理想とは真逆の娘に成長していきます。
母にとって、最大の失敗作だったわけです。
けれどその失敗の原因が自分にあるとはつゆほども思っていません。
なぜなら他のきょうだいは、明るく社交的に育ったからです。(これは明らかに、乳児期からの接し方に大きな差があったからです。きょうだいには無理な理想を押し付けることはしませんでした)

画家が、思い入れが強い作品に手を加えれば加えるほど満足出来なくなっていく。
そんな状態と似ているのかもしれません。
画家は、手を加え過ぎて後戻り出来なくなってしまった作品をどうするのか?
大抵は、ビリビリに破いてしまうか、二度と見ないように封印してしまうのでしょう。

母にとって、私はそういう『失敗作』であり、二度と見たくない作品だったのです。
ただ、私は『絵』とは違うので、自力で成長することができます。
すると、幼少期には失敗作であっても修復不可能なものにならずに、成長とともにそれなりに自立して見せられる作品になっていきました。
それを母は、「親として出来るだけのことをやったので、子どもを自立させることができた」と感違いしているのです。

私は自力で、打ち捨てられる危機を乗り越えました。
けれど一度失敗作として見限られた経験は、一生残り続けます。
それは母への恨みを吐き出すとかそんな小手先のことで解消するものではなく、誰も気づかないところで自分の人生を破壊し続けるという被害を及ぼしているのです。

さて、こういう加害に対して、私はどう気持ちを整理したら良いのか?
まずは、母がなぜそんなことをしたのか?
それを理解しないことには収まりません。

画家に打ち捨てられた失敗作でも、作品は作品。全ては創作した画家に責任があるのですから。

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