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学級崩壊を経験して感じたこと

それは、学級担任の力量だけではどうにもならないということでした。

僕は公立幼稚園で10年勤務したあと、初めて認定こども園に赴任し、5歳児の担任になりました。

地獄でした。

どこか監獄のようなところへ入れられているような感覚でした。自由がきかない。息ができない。

僕も、子どもも。

5歳児は2クラスあり、互いに主担任1人、加配(ほぼ副担のような立場)が1人います。午前中は各クラスで活動しますが、短時部の子どもが降園してからは合同保育になり、休憩や会議、出張などに合わせて担任が入れ替わります。

片付けの時間になると何がなんでも遊びをやめないといけない。やめさせないといけない。

「楽しかったね。」「今度はどうしてみたい?」

など、共感の言葉は一切ナシ。

「あとどのくらいしたら部屋帰る?」

「ここまでやってからにしよう。」

など、個々に合わせた言葉や時間の保証も一切ナシ。

すぐに遊びを終えた子を

「もう片付けできてる。さっすが!」と

祭り上げる。

遊びをやめない子への見せつけか?

遊びを終えない子が悪いみたいじゃんか。

その子なりに目的もって、次に何があるかもわかって見通しもって活動してるんだ、止めるな。


友達と意見がぶつかり、涙を流すこども。

保育者は「泣き止みなさい。」「泣いていたらわからない!」

と声をかけるだけ。

「辛かったよね。」「〇〇したかったんだよね」

という言葉がなぜ出ない。

子ども泣き止んだけど、それ先生が怖くて涙引っ込んだだけだよ。

その場は収まっても、その子の心は救われたのか?


子どもたちは大人の支配に服し、息を潜めて生活してる。顔色をうかがい、楽しくなくても楽しそうに振る舞い、大人の機嫌を取ろうと自分の意思とは違ってもその人が喜ぶと思うこと、褒められると思うことをして過ごす。

その環境の中でずっと過ごしてきた子は敏感だ。

悲しいかな、人の粗を探すようになり、友達の「帽子を被っていない」「手を洗わずに水筒の茶を飲んでる」「トイレのスリッパを揃えずに帰ってきた」等(もっとたくさん、いっぱいある)の姿を鬼の首を取ったかのように指摘し始める。

これ見よがしだ。

先生に聞こえるように

「先生!〇〇くんまた帽子かぶってないよ!」

「あ!手洗ってからじゃないとあかんのに!」

「スリッパを揃えてないやろ!先生に言うで!」

とアピール。

自分の株を上げるのに必死だ。まだ5歳なのに…

繊細な子は怯え始める。自己発揮が難しくなってくる。

…悲しいな。

保育者から信頼され、辛かったことを、嬉しかったことを心から共感され、自分の行いを感謝されてきた子どもはそうはならない。

「今日暑いから帽子被ったほうがいいかも。」

「手、汚れてない?そのまま飲んだらお腹痛くならないかな?」

「僕が代わりに揃えておいたからね。」

他人の粗は気にならない。

ほんとはそんな温かい言葉で溢れるはずなのに。

子ども同士が互いに気遣い、子どもたちだけで完結できるのに。


大人の支配の環境で過ごす子どもの心はついにはじける。

ありのままの自分を受け止めてもらえるとわかった瞬間、抑え込まれた心が溢れ出す。

ごねる。すねる。

本来、自分でコントロールできるはずの感情が制御不能になり爆発する。

学級崩壊


これ、その年度の担任だけの問題だったのかな?


昨年、現状をどうにかしたくて原因を突き止めようと自分で調べまくりました。


でもね、これ訴えたところで

責任転嫁やん


って捉えられてしまいそうで誰にも相談できませんでした。









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