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息をするように本を読む63 〜和田竜「忍びの国」〜

 
 和田竜さんは、寡作の作家さんである。
 作家歴は長いのだが、長編は4作しかない。
 この「忍びの国」はその2作目になる。

 海外で、忍者人気は相変わらず高い。アニメ作品の影響もあるのだろうか。日本国内でも、アニメの他、小説や映画、漫画などあらゆる創作物の題材になっている。

 忍者の歴史は室町時代にさかのぼる。
 当時、広大な荘園を所有して裕福な暮らしをしていた貴族、寺院などの支配者層に反抗し、しばしば反乱を起こしていた武装集団(悪党、と呼ばれる)がいた。まあ、半グレと大差のない、ちょっと危ない集団だ。

 彼らの中には、大掛かりな戦闘よりも、どちらかと言うと夜陰に紛れて敵宅に侵入し、暗殺や窃盗や放火を行なって相手を撹乱することに長けた者たちがいた。
 
 戦国の世になると大名たちはこぞって彼らを雇い、その力を利用するようになる。
 諜報活動や潜入捜査、陰謀工作に特化した傭兵、とでも言えばいいだろうか。

 これらの集団は、多少の規律を保っている地侍達の土豪集団と、まるでバラバラの、今で言うチンピラのような集団とに分かれていた。

 その土豪の集団の中で名高いのが、甲賀衆と伊賀衆だ。
 甲賀は滋賀県にあった甲賀国に拠点を置く忍び集団で、そのときの情勢にもよるが、大体いつも1人の主君に仕えていた。
 伊賀は三重県にあった伊賀国に拠点を置き、決まった主君に従うのではなく、毎回オファーを受けて報酬の折り合いがついた相手のために忍者を派遣するという方式をとっていた。甲賀は正社員、伊賀はフリーランス、というところだろうか。

 この物語に登場する忍び衆は、伊賀である。
 いくつかの歴史書によると、伊賀は鎌倉幕府が滅亡して以来、中央からの支配は届かず、無政府状態だったという。
 戦国の世になり、各地で強い力を持った大名たちがそれぞれ広範囲の領地を支配するようになっても、伊賀は手付かずのまま、狭い上野盆地に60人以上の地侍、800超の中世城館が乱立していたそうだ。
 そして、常に他を出し抜き、我を張り合い、いがみ合っていた。
 その争いの中で、技がより磨かれていったとの見方もできる。

 彼らにとって、一番大事なものは何か。
 彼らが、名誉や誇り、家族、そして生命よりも重要視するもの、それは金だ。
 自分の技をより高く相手に売りつける。一番高い値をつけた者のために働く。仕事が終わって報酬を受け取れば、もうそれで縁は終わりだ。そして、次回はその敵方に技を売ることに何の躊躇もない。
 裏切りも嘘も罠もあるのが当たり前。する方もされる方も全く意に介さない。

 伊賀衆は「虎狼の集団」と呼ばれる。
 虎や狼のように、敵の弱みを常に伺い、狙いをつけた的はどんな手段を使ってもその喉笛に食らいついて仕留める。
 相手の生命も自らのそれすらも、羽毛よりも軽い。
 戦国時代の武士たちはそんな伊賀者を毛嫌いし軽蔑しながらも自分の都合のいいように利用してきた。
 
 やがて、世は信長による天下統一が目前となった。
 近畿一円はほぼ信長の支配下となり、残るは虎狼の輩の跋扈する伊賀の国のみ。
 信長と伊賀衆との激烈な血みどろの戦が始まった。
 後に天正伊賀の乱と呼ばれる2度に及ぶ戦いが、この物語の舞台となる。

 主人公は無門という名の伊賀衆の下人。
 下人とはそれぞれの地侍たちに仕えている最下層の忍びのこと。
 ただし最下層というのはあくまで身分のことで、忍びの腕はまた別の話だ。
 無門は、恐らく伊賀随一の腕を持つ。その技の値は高い。もちろん、その報酬のほとんどは主にピンはねされてしまうのだけど、ヘソを曲げると一切働かなくなるので、主も無門には少しだけ甘い。
 
 無門は、まさに典型的ともいえる伊賀者だった。
 髪の毛一筋の差で生命のやり取りをしても、平然としている。生死をかけた戦闘を飄々とゲームのように扱う。
 それは、自身の力への絶対的自信なのか、それとも人としての感情が全く欠落しているからなのか。

 忍びは、下人の子どもはもちろんだが、主家であっても家を継ぐ嫡男以外は下人扱いである。
 ほかに、出自はわからないが戦で親を失くした孤児、ときにはさらわれてきた子どもの場合もある。
 彼らは幼いうちから、過酷な鍛錬を受けて育つ。過酷すぎて死ぬこともある。たとえそうなっても誰にもその死を悼まれることはない。そして、運か実力か、その両方か、に恵まれて生き残った者たちが一人前の下人となるのだ。

 そんなふうに育ってきた無門に人間らしい心が欠落していても何の不思議もない。

 こう書いていくと何だか殺伐した物語のようだが、そんなことは全然ない、のが面白い。
 著者の、淡々とした、ときにはちょっととぼけた語り口の為せる技か、無門はじめ、登場人物たちの何だか憎めないキャラクターのせいだろうか。

 和田さんの別の作品で、私の大好きな「村上海賊の娘」にも同じことが言えるのだけど、静と動、凪と嵐、緩と激、が絶妙のバランスになっていて、ニヤニヤ笑ってしまうところ、手に汗を握ってしまうところ、ドキドキしてしまうところ、とにかく、ページを次々に捲りたくなる。

 やがて天下統一が成り、世に長く平穏な時代が訪れると、忍者は次第に姿を消す。しかし。

 人を人とも思わず自らの利のみを求め、そのためには手段を選ばない「虎狼の血」。
 その血は、この世から本当に消えたのか。


 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 物語の中には忍びの技が数多く出てくる。
 土遁(どとん)の術。関節を外しての縄抜け。八方手裏剣投げ。火薬を使った煙幕。槍一本のみで堀を飛び越える。
 それぞれに秘術があるらしい。
 だが、それらの技の中でも最も難しく最も効果的なものがある。
 
 人の心を自儘に動かすこと。術にかけるともいう。
 催眠術などではない。自らは動かずに情報を集め、この人間はこういう言葉をかけられ、こういう場面でこう煽れば、必ずこう動く、ということを読み切る。
 そして術をかける相手は敵とは限らない。

 人の心を無くした虎狼の輩が人の心を読んでそれを操るとはなんと皮肉なことか、と思う。
 

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