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息をするように本を読む55 〜A.クビツェク「アドルフ・ヒトラー わが青春の友」〜



 小説以外の本をここで紹介するのは初めてかもしれない。
 この本を手にしたのはどういう経緯だったのか。よく覚えていない。
 あまりに伝説化された人物の青春時代の話と聞いて、興味を感じたのかもしれない。

 この本の著者アウグスト・クビツェクは、第二次世界大戦を語る上で避けては通れないアドルフ・ヒトラーの、青春時代のおそらくは唯一の友人だった。
 ヒトラーについては、自身による自伝以外にも多くの歴史研究者たちが彼についての著書を出しているが、彼がどんな青春時代を過ごしたか具体的に書かれているのはこの本だけのようだ。
 クビツェクは政治に全く興味がなく、ヒトラーの言葉を借りればずっと「政治的には間抜けで子ども」だったので、クビツェク自身のイデオロギー的主張は全くない。
 ただ、2人の少年時代の思い出が語られているだけだ。

 クビツェクは、1888年にオーストリアのリンツという地方都市で椅子張り職人の息子として生まれた。
 学校を出たあと、自宅1階の作業所で父の仕事を手伝っていたが、音楽が大好きで、実は音楽で生計を立てていきたいと密かに思っていた。
 彼は仕事の合間に、リンツの劇場でオペラを鑑賞するのが楽しみだった。父からもらえる小遣いはほんのわずかだったので、いつも立見席。
 そしてそこで、クビツェクは同じように立見でオペラを見ていたひとりの少年と運命の出会いをする。
 そのとき、クビツェクは16歳。その少年も同い年だった。
 オペラに並々ならぬ愛情を持つ2人は、幕あいに言葉を交わすようになり、やがてお互いの家を訪問し合うほどに親しくなった。
 この後、2人はウィーンでルームシェアをしていた2年を含め、4年ほど一緒に青春時代を過ごすことになる。
 その少年の名は、アドルフ・ヒトラー。


 あくまでもクビツェクの記述によるとだが、当時のヒトラーは、頑固で思い込みと感受性の強い、いささか強すぎる少年で、長じてもそれはあまり変わらなかった。

 
 ワーグナーの音楽や歌劇、ドイツの古い詩や神話などの、その重厚で荘厳な美しさを熱狂的に愛し、そして誰にでも、自分と同じように感じることを要求する。
 それが認められないと、自身も全否定されたように感じ、激しい不満と怒りと失望をあらわにする。
 

 想像(妄想?)力が強く、自分や愛する故郷リンツや国家の将来に壮大なビジョンを抱き、それに必要な現実的問題、地道な方法、となると、まるで考えていない。
 自分の考えはこんなに素晴らしいのだから、実現するはずだ、いや、実現するべきだくらいに思っている。
 
 出世や金儲け、世間的名誉、生活の安定などに、汲々としている大人たちを斜めに眺め、自分はそんな俗物たちの中には混ざるまい、混ざることなどあり得ないと密かに蔑んでいる。しかし、現在の自分がそれによって養われていることには、気づかないふりをしている。

 根拠のない万能感と優越感、誇大妄想と大言壮語、世俗的で現実的な事物への侮蔑、荘厳で神秘的な神話や伝説や芸術への憧れ。
 
 ここまで書いて思った。
 こんな10代、いくらでもいる。
 ヒトラーが、まあ、多少は度が過ぎているかもしれないが、とりわけ特別だったというわけでもないと思う。
 
 かなり気難しく面倒くさい性格ではあったが、ヒトラーは、自分が大切に思う物や人には熱心な愛情を注ぐ少年だった。
 
 クビツェクの記述には、愛情の全てをかけて育ててくれた母親へのヒトラーの献身や、クビツェクやその両親に対する気遣いなどが詳しく書かれている。
 クビツェクが愛してやまない音楽の道に進むことが出来たのも、ヒトラーがクビツェクの父親を辛抱強く説得したおかげだった。

 ヒトラーの初恋にも触れられていて、これは、なかなかに面白い。
 ヒトラーが憧れたマドンナは、シュテファニーという1つか2つ年上の、明るい瞳の活発な少女だった。
 初恋、と言っても、結局1度も言葉を交わしたこともなく、彼女が毎夕、母親と散歩をする橋のたもとに偶然を装って(全然、偶然に見えていないと思うが)立ち、彼女とその母親に会釈するくらいしか、出来なかったそうだ。
 しかし、ヒトラーの頭の中ではシュテファニーと自分の輝かしい未来がどんどん妄想されており、クビツェクはそれらを我慢強く聞いてやったらしい。(クビツェクはほんとに佳き友だ)

 やがて、クビツェクは音楽院に通うため、ヒトラーは造形アカデミーの受験のため、2人でウィーンでルームシェアをして暮らすことになる。
 古色蒼然としたハプスブルク家の支配するオーストリア・ハンガリー二重帝国の首都であった当時のウィーンは、この2人の貧乏学生の目にどう写ったのだろう。
 チェコ人、イタリア人、クロアチア人、スロベキア人、その他、いろんな民族が入り乱れ、上流階級と労働者の格差の溢れた街。
 中世から残る美しい建造物が立ち並ぶ華やかな街並みの裏の通りの、大量の南京虫と埃の舞う日当たりの悪い下宿屋で、若きヒトラーは何を考えていたのか。
 
 やがて、2人の友情は突然、断ち切られることになる。
 ある日、帰郷していたクビツェクがウィーンの下宿屋に帰ってくると、ヒトラーは姿を消していた。クビツェクは知らなかったのだが、ヒトラーは造形アカデミーに見切りをつけていたようだ。
 クビツェクは心当たりをあちこち尋ねてみたがその消息を知ることはできなかった。

 その後、ずっと音信不通のままで、次に2人が再会するのは30年も後のこと。
 1人はドイツ帝国の絶対的権力者、もう1人はオーストリアの地方公務員として。

 2人は、1938年にヒトラーがリンツに視察に訪れたときに慌ただしい再会を果たし、翌年と翌々年、クビツェクは、バイロイトで行われたワーグナーの音楽祭にヒトラーの賓客として招待された。
 ワーグナーの生誕地バイロイトの音楽祭は2人の青年時代の見果てぬ夢だった。
 その夢が実現するとき、ヒトラーが旧友のクビツェクを招待することは当然のことだったのだろう。
 クビツェクが訪れた2回目の音楽祭で演奏されたワーグナーの曲は「神々の黄昏」。
 そのときを最後に、2人は再び会うことはなかった。


 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 
 二次大戦終結後、クビツェクは戦争犯罪人ヒトラーの友人ということで逮捕され、2年近く収監されていた。
 収監中、尋問官はクビツェクに、ヒトラーには警護無しで面会できたのだろう、そのとき彼を暗殺することも可能だったのに、なぜ、そうしなかったのかと尋ねる。(なんて馬鹿な質問だろう)
 クビツェクは一言、
「彼が私の友人だったからです」
と答えた。

 クビツェクにとってヒトラーは、青春を共に過ごした友人であり、それ以外の何者でもなかった。
 ヒトラーの激烈で矛盾と虚構と謎だらけの人生において、それだけは間違いなく真実だったのだろう、と私は思いたい。
 

 
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