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息をするように本を読む26 〜原田マハ「たゆたえども沈まず」〜
私は芸術に疎い。音楽も絵画もあまりよくわからない。
それは、嫌い、というのではないと思う。
耳に心地よい音楽を聞けばうっとりと聞き惚れるし、美しい絵画やデザインが目に留まれば立ち止まって見入ってしまう。
でも、そう感じられる範囲がかなり狭くて鈍いので、あまり鋭敏できめ細やかな感性は持ち合わせていないのだろうなと思う。
もっと優れた繊細な審美眼や鑑賞耳を持っていたら、きっと人生がより楽しいだろうなとよく考える。
しかし、あまりに分かりすぎるのも、あまりに鋭敏すぎるのも酷なことなのかもしれないと、この小説を読んで思った。
19世紀半ばから後半に向けて、ヨーロッパの文化の中心はパリだった。
その頃のフランスは普仏戦争、パリコミューンなどの困難な時期を乗り越え、最も華やかな時代のひとつを迎えつつあった。
パリの大改造に続き、3度の万国博覧会の成功の後、好景気に乗じて財を成した新興ブルジョアジーに支えられた新しい芸術の潮流が次々と生まれていた。
当時もてはやされていた絵画は、権威あるフランス芸術アカデミー出身の画家の描く神話に題材をとった天使や女神、英雄などの緻密で端正なものが多かったのだが、旧式然とした権威主義に疑問と反発を抱く者はいつの時代にもいる。
このときのパリの芸術界にも、全く新しい風が吹き始めていた。
まず、モネ、ルノワール、ドガ。
日本でも知らない人はいないだろう、「印象派」と呼ばれる有名な画家たちだ。
彼らはアトリエから戸外に飛び出し、溢れる光の中の風景、建物、植物や人物を心おもむくままに描いた。
従来のやり方を重視する美術関係者たちからは「毛羽だった絵筆で、きちんとデッサンも構図も取らずに書き殴ったおぞましい絵画。いや、絵画とも言えない代物」と酷評されていた。
「印象派」という言葉は当時の保守派が嘲りを込めて使っていた呼称なのだ。
そして、更にこの頃のヨーロッパには別の新しい波が来ていた。
それはジャポニズム、と言われる日本美術の流行だ。
その代表が浮世絵だった。
万博に出品された日本の陶磁器などの美術品の梱包材代わりに浮世絵の冊子が使われていて、それがパリの美術関係者の目にとまったのがきっかけ、という話がある。
この話の真偽は定かでないが、今までのヨーロッパ絵画にはない、浮世絵独特の色使いや大胆な構図、扱われている題材などがヨーロッパ人たちに与えた驚きは想像するに難くない。
浮世絵はたちまちにして多くの芸術愛好家たちの心を捉えた。
新しい風を求めていた印象派の画家たちは、葛飾北斎や歌川広重の描く風景画や美人画に魅了され多大な影響を受けていった。
そして、その影響を受けたのは彼らだけではなかった。
ある1人の画家が、パリの日本美術専門店のショーウィンドウに展示されていた花魁を描いた1枚の浮世絵を見て、雷に打たれたような衝撃を受けた。
彼も現在日本で、いや、世界中で大変愛されている画家だ。彼の作品を1枚も見たことがない人はまずいないだろう。
それは、印象だけではない、自分の内部の苦しみや悲しみや葛藤までもキャンバスに描き出そうとしたオランダ出身の画家、フィンセント・フォン・ゴッホだった。
「たゆたえども沈まず」は、フィンセントとその弟で画商をしていたテオ、そして、当時パリで日本美術商をしていた林忠正とその友人にしてビジネスパートナーの加納重吉の物語だ。
テオはパリのまさに権威主義の権化のような有名画廊で働いていたが、従来の保守的な作品ばかり扱っていることに疑問を持っていた。
上司の目を盗んでこっそり見た印象派たちの絵画や日本の浮世絵に、新しい芸術の風、開かれた窓、を強く感じていたのだ。
やがて、兄フィンセントの絵に印象派を超える何かを感じたテオは、全く売れない絵を描き続ける兄を経済的にも精神的にも支えようと奮闘する。
同じくフィンセントの描く絵とテオの兄への愛情に心動かされた忠正と重吉も、兄弟を出来るだけ支援する。
しかし、それはフィンセントとテオ、双方にとって、辛く厳しい道だった。
私はこの小説を読んでいて、何度もとても悲しくなった。
ここまでの痛みがないと芸術というものは完成しないのだろうか。
ここまで周囲の人たちを悲しませ、自分自身も傷つかないと、絵は書けないのだろうか。
彼らに神が与えた才能、ギフトは、恩寵ではなく、もしかしたら呪いなのではないのか。
もういいじゃないか。
もうやめよう。
このままでは、あなたもあなたの弟も壊れてしまうよ。
でも、彼らはどうしてもやめることはできなかったのだ。
止められないと分かってはいても、誰もが知っている、破滅的な悲劇に向かう2人が悲しくて切なくなった。
今、フィンセントの絵は世界中の人たちから愛され、大勢の人が彼の絵を見るために美術館を訪れる。
彼の作品はびっくりするような値段で取り引きされていて、贋作も多数ある。
フィンセントやテオがそれを知ったら、どんな顔をするだろう。
案外、こう言って顔を見合わせて笑うかもしれない。
ほら、見てみろよ。僕の言ったとおりだ。
兄さんの絵はやっぱり素晴らしいのさ。
原田マハさんは、史実とフィクションを織り交ぜる天才だ。
この小説でテオの親友となる加納重吉は架空の人物だし、フィンセントやテオが林忠正と知己の仲であったという事実はない。
フィンセントが浮世絵を見たのも忠正の店ではないだろう。
でも、19世紀の花の都パリのどこかで、彼らがすれ違っていたかもしれない、言葉を交わしたことがあったかもしれない、そう想像するくらいは許してもらおう。
本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
遥か昔、遠い日本からパリにやって来た浮世絵が起こした新しい風とフィンセント・フォン・ゴッホの絵、その繋がりがとても誇らしく、嬉しい。
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