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書きたいけどうまく書けないという幻想が終わった日。

京都駅から27分、亀岡駅の真福寺。椿観音と水琴窟の寺で知られる、由緒正しい曹洞宗の禅寺がある。多くの僧が座禅を組み続けてきたであろう本堂の空間が、こうして書いているだけで流れ込んでくる。

ここで開催される5月27日の「クリエイティブ・ライティング」講座は、最高にクールだ。

この講座を受けて、書くことが止まらなくなった。

3月に金沢でこの講座に参加した後、忘れたくない! と大慌てで心と体の動きを書き留めたのが、noteデビューの文章になり、講座の中で綴った短い小説が、そのまま続いて連載になったりする。そういうことが自然に起こるところが最高にクールだと思う。

実際にそうなっている本人がいうのだから間違いない。

個人差はあるにせよ、東京開催の講座の感想を丁寧に読んでいくと、多くの人が参加後、本気でバリバリ書き出しているのが手に取るようにわかる。

その気持ち、本当にわかるなぁと思う。そうなってしまうのだ、本当に。

何を書いていいのかわからない、というのがなくなった。

「書き方」ではなく、テーマを潜在レベルから抽出する方法をたくさん教えてもらう。こういう実践はもし、これからも何かしら書き続けたいと思っている人にとっては、一生ものの財産になるだろう。

もちろん教えてもらうだけではない。その場でガンガン書く。どんどん書く。他の参加者と一緒に話したり、読みあったりしながら、笑いながら、たくさん書く。脳が限界! と思っても、実はけっこう書ける。へー!わたし、こんなに書けるんだ。すごい、すごいなわたし。それが実感だった。

この半日の講座で体験したこの感覚が、書く時のこころの席になった。

あたまより先に、からだから始まるのが最高にクール。

はじまりは、まず動く。からだのコンタクトのリードをする青剣氏がいろいろな手法で、からだをつかった遊ぶようにコミュニケーションを体験する。これが巷にある文章教室や、書き方セミナーとの圧倒的な違いのひとつだ。

これから書こうという時に、なぜみんなで輪になり、一緒に遊ぶようにからだを自在につかうのか。それをした後、紡ぎ出す発想がどう変わるのか。これは体験してみないと絶対にわからない。

あたまもからだの一部であることを、実感すること。誰かにふれて温かいと感じるとき、人は自分のからだが温かいことを思い出す。

これは一人ではできない。

だから私たちはこうやって誰かと出会うことが、時に必要なのだろう。それは想像以上の助けになる。

違う価値観に出会い、また自分の宇宙を広げることができる。もし、何かを表現したいと願うのなら、この道は最高に楽しい近道になるだろう。

批判しない。できなくていい。好きを大切にする。

作家の小野美由紀さんがリードする創作の時間にはこの3原則がある。最初聞いた時はそうか〜という程度だったが、書き進めながら湧き上がる恐れと「自分はだめだ」感に襲われるたびに、この原点に何度もわたしは励まされた。共に机に向かい、ポジティブなフィードバックを投げてくれる仲間の存在に助けられたのは言うまでもない。

書く自分に、書き上がる内容に「これでいいんだ、よかったんだ」という安堵感を初めて感じることができたのは、あまりにも大きなギフトだった。

私たちはみな何を書きたいか、きっと本当は知っている。

結局のところ、自分のことは自分ではわからない。誰かがいるから自分がわかる。どんな人間なのか、何が好きで何が苦手なのかも。

この講座で得たフィードバックの中に「あなたはこれが好き、というのがはっきりしている」というのがあって、わたしは顎が外れるかと思うほど驚いた。セルフイメージは完全に真逆だったからだ。好きなものがある人っていいなぁといつも人を羨んでいた。いままで一体何を見てきたのだろう。

わたしの思うわたしは、どうやら違っていたようだ。何が正しいかは自分が決める。それはわかっている。鵜呑みにする必要はないのも知っている。でも人から「こう見える」と率直に、安全に教えてもらえると、自分の視野が倍に広がり、自由を感じる。それがとてもわたしには嬉しいのだ。

こういったことも含めて、クリエイティブ・ライティングは新しい情報を仕入れるというよりは、ベールで見えなかった部分がオープンになっていく感じに近い。

きっとずっと、昔から、子どもの頃から、おそらくわたしは変わらずこうだったのだ。自分が認めていなかっただけなのだろうと思う。

こういったことに光が当たると、そのことさえも潜在レベルで言葉に含まれる。それは紙に綴られ、新たな文字の表現になる。それが楽しくて、きっとまた書きたくなるのだろう。ずっと踊っていたい。

その連続で、自分の書きたい何かの全容が見えてくるような気がしている。それはいま、自分には見えていないだけで、すでにいま、ここにあるんじゃないかなと今は思える。

きっと忘れていたことを思い出すだけなのだ。それがどれほど価値があるかはその瞬間まで誰にもわからない。

でも直感でいいな、と思ったものを手に取るとこういうことが時に起こる。それが楽しくて嬉しくて、うっかり生きてしまうのかもしれない。

というわけで、京都でお会いしましょう。

この日、わたしは参加する予定。講座の始まりはゆっくりと午後から。もし遠方にお住まいの人であれば、この日そのまま京都駅へ戻って、市内で一泊するのも楽しいんじゃないかと思う。いま京都では、女子が安心して泊まれる、おしゃれで近代的なカプセルホテルが増えている。格安のドミトリーを見つけてもいい。男性は・・・どうぞお好きなお宿で京都の夜を楽しんでいただけたら。

個人的には、禅寺の佇まいと空間をとても楽しみにしている。

申し込みはここから。もし会えたらびっくりだ。ぜひ声をかけてください。ふふふ。

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