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私の文章は「才能がある」なんかじゃない。

ここ最近、PMSのせいなのか色々考えてしまっていました。

最近の悩みの中で1番大きなものは、「自分の文章の実力、キャリアが本当はきっとちっぽけなものに違いない」という事です。

この事でずっと悩んでしまって、今朝もずっと親に話を聞いてもらっていました。


私は、2020年にAKARIでの執筆を始めました。
最初の作品は、「花火」というものでした。

自分の書いたものが全世界に晒される。
それは、とても嬉しいことでもあったけれども、同時にちょっと怖かったです。
WordPressで、投稿の準備をしている時は、ドキドキが止まらなかったのを覚えています。

「自分の文章が、人からどんな風に思われるのか」

その点がとても心配でした。

「きっと馬鹿にされるに違いない」

と確信していました。

翌日、チャットを開くと、支援員さんからメッセージが入っていました。
「花火」が100人近くに見られていた、そして、コメントしてくださる方もいらっしゃった。
とのことでした。

「えー!」
と思いました。

嬉しかったです。
本当に嬉しかったので、すぐに親に報告したくらいでした。

それから、次の記事も、その次の記事も、たしかあたたかいコメントを頂きました。

嬉しくて仕方ない日々を送っていました。
次からも、つまらないと思われたものもあったかもしれないけれども、書いたら、書いただけ、反応が何かしらあって、嬉しかったのです。
だから、この1年は、少しハイテンションだったかもしれません。


しかし、私の様子が変わり始めたのはここ最近でした。

コメントが日に日に増えるに従い、ある考えが自分の頭の中にこびりついて離れなくなってしまいました。
とっても嬉しいのに。
嬉しいのは嬉しい。
でも、どうしても

「これは、自分の実力でコメントが来ているのではない」

「私が、就労継続A型事業所でエッセイを書いていることが、物珍しくてみんな見ているはず。」

「支援員さんの宣伝や、AKARIや、TANOSHIKAのブランドのお陰だから私の実力ではない」

と、思ってしまうようになりました。

同時に、あることを閃きました。
もしも、自分のこの「TANOSHIKA piasu」という屋号みたいなものを振り払って、それをなくして、一個人として文章を書いてみたらどのくらいの方々に注目してもらえるのだろうか。
試したくなってしまいました。

自分の文章だけで、どれほど、人から注目されるのか確かめたかったのです。

それで、半ば自分いじめも兼ねて、noteを個人で始めたのです。

この個人のnoteでは、AKARIやこのnoteで書いてるような、同じような心の事を中心に書いていました。

….やはり、この個人のnoteはうまくいきませんでした。

スキもつかない、フォロワーさんもつかない。

だんだん、「これまで起きた成功は、自分の力ではないのかもしれない」が確信に変わり、体調を崩してしまいました。

noteのそのアカウントは、体調悪化を促すだけだと思ったので消すことにしました。


支援員さんに大体の悩みを伝えてみると、翌日、「この現象に近いのでは?」とこのようなことを教えてくださいました。

それが、「インポスター症候群」というものです。

なんだか聞いたことあるな、と思ったら、ずいぶん前にAKARIでも取り上げられていたとの事でした。

インポスター症候群とは、自分が成功しても「みんなのおかげ」とか「運が良かっただけ」と自分を過小評価してしまう現象のことらしいです。

私は、自分の記事にコメントが来るのは「みんなのお陰」と思っているし、「運がよかっただけ」と本気で思っています。

だから、この現象に当てはまっているのかなあ、と思いました。

でも、どうしても「みんなのお陰でこんな風になった」「たまたまだ」との想いが心の底から「事実」としか思えないので、自分が「インポスター症候群」なのかどうかはわかりませんでした。

そんな時、今朝、親に色々話した後、ちょっと自分と向き合ってみることにしました。
ノートに今の想いを全て書きました。

「自分の実力だけで成功していないのが悔しい」

ノートにひとしきり書き出していると、上のような感情が隠されていることを、最後の一文で気付きました。

文章が大好きだし、文章だけで認められたい。
それなのに、「自分が就労継続A型事業所でエッセイを書いているからもの珍しい」という風に見られている気がして、それだけで自分の記事が評価されている気がして、とても私は悔しかったのです。
その事に気づいて、ふと思いました。

それは、「私はなんのために文章を書いているのだろう」という疑問です。

またノートに書いていくと、このような言葉が羅列されました。

「自分の文章を認められたい」
「自己承認欲求を満たしたいというのも少しあるかも」

どれも、「自分のため」「自分本位」なもので、心底自分が残念でした。

じっくり考えて、徐々に考えを改めたい、と思いました。
それから、こう思えるようになりました。

「TANOSHIKAの宣伝を使ってより多くの人の目に触れる事が可能になり、自分の文章でより多くの人が救われるのならそれでいいのでは?」

「私は会社に貢献したいのと、お金のために、生きていくために、文章を書いている。それなのに自分の承認欲求を満たしたい、なんておかしいよな。」

そして、最後に
「今の『自分のお陰じゃない、みんなのお陰だ』の気持ちを大切に、これからも謙虚に頑張りたい」
と思いました。

私の抱えていたものは、「インポスター症候群」なのかは分かりません。
でも、たぶん、私の成功の中には「自分の才能のお陰ではなく、みんなのお陰。」という事実も含まれている気がします。
それは、とても悲しいし、受け止め難いことでもあるけれども、言い方を変えたら「謙虚」で「冷静」になれているのかな、と思いました。
その感情というのは、自分を苦しめすぎない範囲だったらずっと忘れずに持っていていいものなのでは?と思ったのです。
私の文章が多くの人に読まれるのは、自分の才能なんかではない。
宣伝してくださるTANOSHIKAの支援員さん、それから何よりしがないこの文章をいつも読んでくださる方々のお陰だ。
その感謝の想いは、ずっとずっと持っていたいな、と思いました。

それから、私はこれからは、自分の承認欲求というものを捨てて、より真剣に、他者のための文章を書きたいと思いました。

「生きづらさ」「働きづらさ」
「辛い」「苦しい」「消えてしまいたい」

そんなことを思っている人々へ、少しでも届くように、今度は自分の利益のためではなく、相手のためだけの文章を書きたいです。

正直、苦しい道ではあると思います。
「成功は、自分の才能ではない」
そう思うのは覚悟が要ります。
でも、心から「人のための文章を書きたい」と決心しました。

今回の苦しみは、こんな事に気づけたのだから、何かしら意味があったのかな、とは思います。

これからは、他のアカウント、ブログを作る、なんて事はせずに、AKARI、そしてこのnoteに、もっともっと当事者やその周りの方に寄り添った記事を綴っていきたいです。
一記事一記事、丁寧に渾身の力を込めて、作っていけたらなと思っています。

頑張ります。

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