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3年前の空港で。黄色いハンカチの話 

3年前、私は1歳になったばかりの子どもと夫と、成田空港に居た。

パキスタン人の夫の実家へ、結婚と出産の報告をするためだった。

パキスタンへは初渡航だ。

1〜3ヶ月の滞在見込みだが、帰国日は決めていない。

それまで住んでいた居心地の良かったコーポを引き払った。

家電などの荷物は、私の実家に頼んで預かってもらった。まだ住んで1年半ほどだったため、もろもろの諸準備はわずか2日間で終わった。

興味もはなから無いこともあり、未だにパキスタンのパの字も知らない。
2年前に結婚した後、すぐに子どもが出来たのでバタバタの毎日だった。

日本語ができる夫と可愛い娘のおかげだろう。いよいよパキスタンに「報告渡航」するとなった時、不思議と何も不安はなかった。

空港には、夫の親友で、シェフ経験も持つアティフ氏が、千葉の自宅からハラル料理を手作りで持って来てくれていた。

アティフ氏はそれを渡航前の私たちに食べさせるため、テーブルのある展望デッキまで案内した。

出発まではまだ少し時間がある。

エレベーターで上階に上がり、デッキへの扉を開けると、10月終わりの空は明るく、朝見た良い天気のままで、空港ならではの追い風が吹いていた。

私たちはピクニックのように、スパイス香り立つ料理を、そこに並んでいたスチール製の丸テーブルに並べて味わった。

少し話をしているうちに、そろそろ搭乗ゲートに向かおうとなった。

またエレベーターで下階に降り、ドアが開いて降りたとき、空港のあの雑踏の中で、何か空耳のようにアナウンスがかすかに聴こえた。

『〇〇便搭乗予定のあかりありさん、至急お伝えしたいことがございます。カウンターまでお越しください』

周りの騒音のため途切れ途切れに聞こえるその空港スタッフの声は、明らかにこちらへ急かしているようだった。

もう何度もアナウンスしているようだ。

もう一度耳をすまし、やはり私の事を言っていると確信した。

と同時に、

「これ、怒られるのかな」と思った。

なぜなら展望デッキに向かうエレベーターのドア前に、カートに積んだ荷物を一台、置きっぱなしにしていたからだ。

エレベーターの前に注意書きで、荷物を置かないようにと書いてあった。

エレベーターの前にトイレがあることもあって、荷物を置いていたのは、私だけではないはずだが、少し置いた時間が長かったのか、運悪く何かトラブルにでも巻き込まれてしまったのか。

学校の先生に呼び出される気分である。

ともあれ、搭乗の時間は迫っている。

カウンターはどこか。

心配そうな夫らを後目に「行ってくる」と告げ、行き交う人混みのをかき分けてカウンターを急いで探した。

走って辿り着いた私はビビる子猫のような気持ちを悟られないよう、さも大人の声で言った。

「あのー、さっきアナウンスで呼ばれた、あかりありなんですが。」

カウンターの女性は焦った表情で、

「あ、あかりあり様ですか!少しお待ちください。」

どうやら伝言を受け取った別のスタッフは既にカウンターを離れているのか、違う航空セクションと電話でやり取りをした後、何かメモして私に渡した。

「あの、〇〇さまから、至急こちらの番号へ電話をして欲しいと伝言を賜っています。」

「?〇〇さん?」

頭の中が駆け巡る。

30数年生きてきて、メディアや観光の長かった仕事柄、多くの人に会ったが、思い出せない。

「一体、、、誰。」


狐につままれたようである。

「お急ぎのようです」と女性は私に言った。

メモには

「086-〇〇-〇〇〇〇」

住んでいた岡山の市外局番だ。

固定電話の番号。

会社か個人かもわからない。

女性が心配そうに私を見つめる。

しかし、もうすでに空港内で私は携帯電話の通話を止めていた。

掛け直せない。

カウンターでコードレス電話を借りる。

電話をかけながら緊張が走る。

私「、、(誰なんだ)、、、」

私「(プルルルルルル、、、)もしもし?」

「、、もしもし、あかりさん?」

受話器の向こうで女性の声がした。

「あの、〇〇の〇〇です。カフェの。」

私は少し躊躇いつつも、すぐ思い出した。

近所をベビーカーで散歩していた時、いつもと違う場所を行ってみようと、歩いた事のないルートを探索していた。

水路沿いの田んぼの先に小さなカフェの看板があり、辿って行ってみると、コンクリートの坂道の行き止まりに、古民家リフォームしたカフェがあった。

道の先は竹藪が鬱蒼と茂っていて小さな山の入り口のようだった。
その袂に、しっかりとした作りの古民家がひっそりと建っていた。店の存在を知ってほしいのか、知ってほしくないのかといった具合に営業は週三日と書いてあった。

脱サラした40代か50代の私よりひと回りほど年上の女性オーナーが、両親から受け継いだ店をひとりで切り盛りしていて、センスの光る自然素材のオブジェに、ゆったりとした店内席、コーヒー豆の香るような小さなカウンターがあった。若者向けというよりは、静かで落ち着いた時間を過ごせる大人のカフェだった。

結果、2回ほどしか訪れていない。

しかし、どちらのタイミングも貸切状態で、オーナーと、私は仕事やプライベートのことをよく話をしたのだった。そう言えば私のコーポにも一度来てくれてお茶をした。
しかしながら、あのカフェのオーナーとして知っていた彼女の名前をよく覚えてないのも当然と言えば当然だった。

その女性の声が受話器の向こうで聞こえる。

「あー!どうも!ど、どうしたんですか!」

私は吃りつつも、明るく応じた。何せ外面はいつも良いのである。

彼女は静かに落ち着いた、そして凛とした口調で私に言った。

「あのね、これだけは伝えたいと思って。もし、向こうで、ほんとうにほんとうにどうにもならなくて、何か困った状態になったら、もし誰にも何も助けを出せない状態になったら、何も言わずに黄色いハンカチを私に送って。そのとき何も手紙は添えないで、ただハンカチを送って。」

彼女はそう言った。

プッと笑い飛ばして「大丈夫ですよ!」と言い返せないくらいの真面目な声。

彼女なりの心配と優しさだった。

ドラマの見過ぎじゃ無いかと思うほど、
ピュアで真っ直ぐな。
それがその時の彼女が出来る精一杯だったのは間違いない。

「わかりました。本当にありがとう、行ってきます。」

私はそういって電話を切った。

また行き交う人混みを分けて、家族の元へ戻り、私はパキスタンへ出発したのだった。
後に、「ほんとうにほんとうにどうにもならなくて、何か困った状態」のパキスタンライフが始まるとも知らずに。

ふと思い出す。今日の私は、他人の事を想い、心配し、彼女のようにがむしゃらに行動出来るだろうか。

届くか届かないかわからないものに、手を思いきり伸ばせるだろうか。

この出来事は、その時よりも年を追う毎に、飲めばホッとするあの珈琲のごとく私の心を温めてくれている。










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