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「生きるように働く」感想

「生きるように働く」ナカムラケンタさんの著書の感想文です。
共感するところも、自分の中で消化不良のところも(過去の体験と照らし合わせて)ありました。

今の仕事に違和感を持っている方、人生を見つめ直したい方、さまざまな働き方に触れたい方におすすめしたいなと思います。

購入したのはタイトルに惹かれたからでした。
また、過去に何度かここでも投稿していますが、東京は荻窪にある本屋Titleさんの紹介文を読んでのことです。


生きるように働く、そのきっかけから仕事の発展までを木の成長に例えて章の展開をされています。
さまざまな登場人物と対話をしながら、それぞれに働き方を語ってもらう。
同時に、著者の運営されている求人情報サイト「日本仕事百貨」が生まれ、育っていく課程を綴られたもの、著者の思ういい場所とはなにかを探す旅でもあります。

やわらかな語り口で紡がれているのですが、その奥には、キラキラと目を動かしながら世の中の動きを読み取り、仕事に取り入れようとする意欲のようなものが感じられました。

各章ごとに、書いてみました。

Ⅰ.種を蒔き、水をやる

まず種ありきと思われるかもしれませんが、水やりありき。

「種」は、やりたいこと、気になるテーマ、こうだったらいいなという望み、もしくは切実な願い、と言い換えられるでしょうか。
種がどこにあるかはわからない人もいるかもしれません。私はそうです。

水やりとは、さまざまな生き方、働き方を見て、さまざまな価値観に触れること。
会って、話を聞くことが、最も効果的。

そうして受け取った刺激が、自分の中の種に届き、こうしたいという思いに変わる。衝動とも言えるのかもしれない。

衝動。
私がnoteに投稿し始めたのは、これに尽きます。
表さずにはいられなかった。
感情、思い、考えを表したい。

では仕事や生活はどうしたい??
他にも種が眠っているのだろうか。


Ⅱ.芽が出て、葉が開く

仕事が続いていくということを、「自分ごと」と「贈り物」という視点でとらえてみると、良い歯車が回っているときは、両者が重なり合い、混ざり合っているときなんだな、と腑に落ちます。

それぞれを、起業する、企業の中で働く、と結びつけてみると、企業の中にいる私は「贈り物」をするほうが近道に見えます。

これは、んー、「贈り物」から始めることに異論はないです。

ですが、誰に贈り、どう返ってくるのか、その循環の中で疲弊していったこと、贈ったがゆえに得意だと誤解されたことが何度かあるので、今は慎重になっています。

つまり、「自分ごと」ではないものは「贈り」続けられないことを体感した、とも言えるかと思いました。

今の私にとっては「自分ごと」のほうが大事なんでしょうね。

自分の気持ちと向き合ってみる。自分ごとの最初のお客さんは自分なのだから。とことん向き合って生まれたものは、自分を飛び越えてきっと誰かに届く。


Ⅲ.根を張り、幹を伸ばす

植物が成長していくためには根っこが重要。
さまざまな養分を吸っていくために、あちらこちらに根を伸ばしてみて、気持ちよい場所を探していく。

まずやってみて、ひとつひとつ、目の前のことに誠実に向き合ってみる。反応を見てみる。
するとおのずと、後から調整していくことが出てきたり、時にはやめるという選択肢も出てきたりするのかもしれないですね。

「(日本は)枠のある社会なんよな。『こうあるべき』みたいのを先にガチガチに決めとるから、この枠のなかでいくら柔軟に考えなさいって言ったって、新しいもんは生まれんと思うよな」

ちょうど数日前にもこういったフレーズに出会いました。欧米は概念から、日本は具体例から入る(前例の踏襲)、どちらが良いという話ではないけれども、と。

大事なことは芯のようにあるはずで、それを抜きにしてカタチだけ似せたり、先に枠だけ綺麗に作ったりしてみても、いつか綻びが出てきてしまうのかもしれません。
実は、クラウドファンディングでの支援経験からもそんなふうに思うのです。
自分への戒めでもあり(それは本心かいと自問自答)。

不器用でも不格好でもいい、目指すもの(種)があるならば、今を真摯に柔軟に生きることが、働くことにつながるのかもしれません。


Ⅳ.枝を張り、葉が茂る

根を張り、幹を太くして、枝葉を広げていく姿は樹木それぞれに異なるように、生きるような働き方も十人十色。

生き生きと働く人たちに共通していることのひとつが、自分たちでつくり、自分たちで届けていることだと著者は言います。

ここは、本当に人それぞれなんだろうなぁと思います。
いろんな、木がある。

著者のナカムラケンタさんが本書を通して、いい場所とはなんだろう、と問いかけている中で、共感したところがありました。

人は忘れてしまう生き物。それはさびしいことだけど仕方ない。だからこそ、お互いに相手のことを知っている関係というのは、とても大切でかけがえのないもの。それは誰にでも求められるものではなく、求められても応えることができるとは限らない。いい場所とは、誰かが待っていてくれるところなんじゃないか。

待っていてくれたから、帰ろうと思えた。
そこに居場所があると信じられた。
そんな経験と重なりました。


Ⅴ.森になる

一本の木のように生きる人たちのまわりには、やはり木のように生きる人たちがいる。
木が集まれば森になる。
森が存在し続けられるようにと、そんな場では、お互いに生かし合う意識が働いている。

どんなコミュニティの中でも、大なり小なり、そういった動き……柔軟に役割を変えながら、場が続いていくために動く人たちがいると思います。

企業の中で、抜け落ちてしまいそうな「間」の役割。

自分ごととして森の中にいるとき、人は自然に動けるのだろうなぁと思いました。


生きるように働くことは、仕事と私生活のオンオフが曖昧になっていくことでもあります。
休みの日でも、「あ、これ、仕事に役立つ」とひらめく瞬間や、職業柄の癖が出てしまうことって、ある。

そんな時間も喜びを持って生きていられたら……
そんな仕事が喜んでもらえたら……

やって良かった、またがんばろう、って、素直に思えるんだろうなぁ。

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