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【女性ASD】「自分の当たり前」が全然当たり前ではなかった。「音に過敏」ってこのことなのか!!【デフォルト過ぎてわからない】

ASDに特徴のひとつに「光や音に過敏」というのがある。これまでわたし自身、それらを特に意識してきたことがなかった。家の中は白い蛍光灯じゃなくて黄色っぽい暖色がいい、くらいはある。音では、発泡スチロールがこすれる高い音など、好きではないけどそれほど不快にもならない。だからわたしにはこの特徴は当てはまらないなぁ、と。

がしかし。
これもNINOさんのYouTubeで「定型発達の人はうるさい環境のなかでも脳内で音の調節をして、人との会話をたのしめる。でも、ASDはそれができない」みたいな話があって、それで初めて気づいた。

わたしも聞こえてくる音の調節なんてできない。ほかの人たちが普通に会話できてるのに、わたしだけ聞こえないときもしばしばあった。聴覚検査で引っかかったことないのに。まあでも、そういったところでの会話の自体がもそうそうあるものではないので、そのままにしてあった。

見ないテレビをつけておく、ということが苦手

一日中テレビの音をBGM代わりにして生活している親戚がいる。たまにその家に行くことがあるのだが、わたしにとってはそこに滞在するのが相当苦痛なのである。ひとりでいるのが寂しいからつけっぱなしにする、というのならまだ理解できるのだが(やらないけど)、みんなで楽しく会話しているのに、なぜテレビをつけたままにしておくの?? 音、邪魔でしょ? って思ってた。不思議でならなかった。 

親戚たちはすごく器用に、普通に会話しながらも、たまにふとテレビでしゃべってる内容に触れて「あー、この人こうよねぇ」とそちらに話がいく。目まぐるし過ぎる(@_@)

わたしは話をしているときもしていないときも、テレビの音が気になってしかたない。もしその家に1週間いなければならないとなったら、胃に穴があいてしまいそうだ。1カ月いなければならないとなったら、発狂してしまいそう。そのくらいの苦行なのである。

もしそれが、「意味のあることば」が聞こえてくる番組ではなく、お経だったりマントラだったり、なんらかの環境音だったりしたらそれほど負担はなくなると思う。そんな番組があるかどうか知らないけど。もう10年くらい、テレビ見てないし。

定型発達の人は、きっとテレビの音を無意識に「いい具合のBGM化」しているんだろうな。それは便利だねぇ。
わたしにとって、「音の調節ができない世界」は生まれた時からのデフォルトなので、それ以外の世界はわからない。

BGMもいらない

では、テレビではなくて、カフェミュージックなどはどうか? というと、もちろんテレビ番組よりはずっといいけど、やっぱりベストは「無音な状態」。好きな音楽が聞こえてきても、そちらに気を取られて集中できない。歌の入っていない知らない曲だとそこまで気を取られることはないけど、やっぱり音楽はいらない。

波の音や風が吹いて木々の葉っぱがこすれあう音、鳥の鳴き声などは気にならない。

こんなわたしだから、カフェで本を読んだり、PC持って行って仕事したりすることは、相当落ち着かない行為、ということになる。みんなよくやってるし、家より集中できるらしいということを聞いたので何度かトライしてみたけど、わたしの場合は、家の方がずっと落ち着くし集中できる、という結論になった。

同じADSでも、過敏性は人それぞれ

これらは「わたし個人のケース」であり、ADSでも人それぞれなところがあるだろう。冒頭に書いたように、わたしは、「光」に関してはそれほどの過敏性は今のところ見つけられていない。いろんなパターンがわかると、それはそれでまたおもしろいかもしれない。

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