ぽかり

@tothePLUT0 オレ テツガク チョット デキル

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マガジン

  • なぜ火エレメントが最初なのか

    を、牡羊座の性質と火エレの考察を通じて導いています。

  • 言語はいかに有力か──混沌への乙女座的アプローチ、言語の意義

  • どこまでが私か?──自他境界と7ハウスと8ハウス

  • 射手座と水瓶座は似ているか──「哲学的」の意味に着目して

最近の記事

なぜ火エレメントが最初なのか(4)━━人間の「火」種

ではまとめに入ろう。 このシリーズでは、なぜ他のエレメントではなく火エレメントが最初なのかという問いに答えを与えるために、人格の概念と、火エレでいう「精神」の内実に着目してきた。そこで見出されたのは、火エレメントが文字通り物事の火種であり、現実世界に現れる前の(感覚によって知覚できる前の)イデアだ、ということである。 4.1. 牡羊座は可能性の束、物事が現れる前兆 人間の他に物事の可能性なるものを想像できる動物はいない(ように思われる)。最も賢い動物の一種であるチンパンジ

    • なぜ火エレメントが最初なのか(3)━━獅子座と射手座の場合

      さて、2では牡羊座とmindの関連性について詳述したが、では他の火星座はどうだろう。人間精神とどのような関係があるのだろうか。 3.1. 獅子座の場合ーー発現するイデア 派手、目立つことが好き、自己表現が得意、まるで舞台上の俳優のような獅子座。支配星は太陽であることから、人間の主体そのものと深い関わりがありそうな正座である。 舞台上の俳優と人間の主体、なんだかわかりそうでわからないが、これは人生がステージだと考えるとしっくりくる。私たちは日常生活においても、自分自身の好

      • なぜ火エレメントが最初なのか(1)ーー牡羊座とmind

        近頃私の頭を悩ませているのはこれだ。 牡羊座が最初なのはまあ、理解できる。季節の概念から見て、活動宮が最初であることもまあ、理解できる。 しかし火エレメントが一番最初になるのはどうしてなのか。他の、例えば、死後の世界とかいう魚座から始まっても良いではないか。あるいは、牡牛座が自分の存在を(物理的に)確かめてから自分の存在を確信したって良いではないか。 それにもかかわらず、私たちはなぜ、牡羊座が一番先に来ることが自然だと思うのだろうか? なぜ「我あり」が一番先に来るのだろうか

        • なぜ火エレメントが最初なのか(2)ーー牡羊座と人格

          1では人格に基づいて牡羊座の考察をすると述べたが、人格の何に着目するのか?自己意識である。「我思う故に我あり」という言葉は牡羊座の標語となっているし、ここから話を始めるのはぴったりだろう。 2.1. 人間と道徳、牡羊座 自己意識(とか自己)についてはまあいろいろ論者がいて、引用できそうなものはたくさんあるが(もっと適切な人もいるかもしれないし)、自己意識と人格について、とりわけライプニッツが述べていることは核心を突いているように思われるので、以下に引用する。 要するに、

        なぜ火エレメントが最初なのか(4)━━人間の「火」種

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        • なぜ火エレメントが最初なのか
          4本
        • 言語はいかに有力か──混沌への乙女座的アプローチ、言語の意義
          4本
        • どこまでが私か?──自他境界と7ハウスと8ハウス
          4本
        • 射手座と水瓶座は似ているか──「哲学的」の意味に着目して
          4本

        記事

          11ハウスにおける文化的差異(3): 11ハウスの「未来」

          1では日本での友達について説明し、2では西洋哲学を踏まえたありうる「友達」観について説明した。 さて、ここで情緒的な、同じ価値観によって結びついた日本的な友人の定義と、西洋的な友人の定義ははっきり異なることがわかるだろう。政治的な問題について議論して、価値観が合わないことがわかった時には、日本ではその人は友達ではないとみなされることが多いかもしれない。このことを、日本で俗にいう「宗教と政治の話はするな」という慣用句が裏付けていると言える。宗教的に、政治的に、応援するものが対

          11ハウスにおける文化的差異(3): 11ハウスの「未来」

          11ハウスにおける文化的差異(2): 友人じゃなくても「友人」?

          では、日本でいう「情緒的な」友人と異なる西洋的な友人とはどのようなイメージだろうか。もっとドライで、議論を交わす人たちだろうか。確かにそうかもしれないが、もっと具体化してみよう。私が特に目から鱗が落ちた文は次のようなものだ。 上ではフランス(かつn=1)を例にしてしまったのであまり良い証拠とは言えないが、違いに着目することについては歴史的・文化的要因があると言えそうだ。というのも西洋においては、過去の侵略の歴史から学び、さまざまな正義の形が論じられるようになったという事情が

          11ハウスにおける文化的差異(2): 友人じゃなくても「友人」?

          11ハウスにおける文化的差異(1): 日本でいう友人ってどんな人?

          話を簡単にするために、日本でいう友人の話から出発しよう。 日本では知り合いと友人は明確に区別されている(他もそうだろうというツッコミはしないでほしい)。とりあえずこういう時はインターネットだ。 知人と友人の違いは、知人が存在を認知している存在、友人が必然性のある理由を伴わずに自発的に会っている人を指すようだ。他にもざっと見てみたが、内容は大体同じだし、自分の経験を振り返ってもそうかなと思うので、この定義でいこう。 さて、必然性のある理由を伴わずに自発的に会うには、どのよ

          11ハウスにおける文化的差異(1): 日本でいう友人ってどんな人?

          11ハウスにおける文化的差異━━「友達」ってだれ?

          日本に西洋占星術が輸入されて長い時間が経ち、現在ではさまざまな人がその奥深い世界を楽しんでいるが、しかししばしば「輸入物」ならではの言葉遣いに悩まされることがある。 今回私が文章に書く11ハウスもその一つである。11ハウスは日本語では「友人・コミュニティのハウス」と呼ばれているが、ではそこでの友人とはどのようなものだろうか。私たちが友人と認識しているのは価値観が同じ、しばしば情緒的にも強く結びついた特定の人であることが多いと思うが、しかしこれではあまりにも水的ではないないだろ

          11ハウスにおける文化的差異━━「友達」ってだれ?

          テイストスケール法(通称テイスケ)の診断を受けました

          結論からいうと、面談ではクラシック(+フォーマル要素)でした。でも自認ではダンディやハードモダンでした。クラシックだと好きだと言われることには興味がない……一体どういうこと!?(後でこの疑問は回収します) 経緯私はかねてよりイメコンに興味があり、いろいろと診断を受けてきました。冬ビビだったりPDグレースだったり、顔タイプフレッシュだったり、でしたけど、一つにはその中で生まれた疑問があること。代表的には以下。 パンプスが窮屈に見える サンダルとかミュールなら大丈夫(もちろん

          テイストスケール法(通称テイスケ)の診断を受けました

          言語はいかに有力か?(4)──牡羊座と天秤座、言語と「個」

          これまで、混沌を区分けしようとするのは乙女座的アプローチであり、その一つは言語があてはまるという話をしてきた。もちろん言語では正確さが重視されるが、名前が与えられ、指し示されることによって、「本当に違う状態」が獲得される、と述べた。これが概ね今回のまとめなのだが、これが一体何を意味するのか、牡羊座と天秤座の概念を引きながら考察に移ろう。 4.1. まとめ(ほぼ再掲)今回は、乙女座の秩序と魚座のカオスの話を言語というものをモデルにした。その過程で、魚座と乙女座がいかに表裏一体

          言語はいかに有力か?(4)──牡羊座と天秤座、言語と「個」

          言語はいかに有力か?(3)──概念を分ける乙女座の限界

          前の記事では、ここでの乙女座の秩序がどのようなものかを話した。区分けする仕組みが乙女座だと。では、その秩序に対応する言語と結びつけていこう。 3.1. 概念を区分けするさきほど、手話が成立するのはなぜかという話をした。指し示されるものとの対応関係を保っているからだと。 言語の獲得にあたり、このような概念との対応づけは、分節化と呼ばれる。連続的なものからカテゴリーを切り出して、認識の単位として分けるのだ(音声獲得でも同じ言葉が使われるようだが、今回は言語哲学の意味で使う)。

          言語はいかに有力か?(3)──概念を分ける乙女座の限界

          言語はいかに有力か?(2)──乙女座VS魚座

          前回の記事では、魚座と乙女座のみかたを混沌と秩序(特に片付ける、整理する)という観点からみた。今回はこれを支配星の観点からさらに見て、その相違点をまとめてみよう。 2.1. なぜ水星と木星は対立しているのかでもじゃあどのように、何を、阻害しているのか? 一般に言われるように魚座が不明確であるとして、コミュニケーションには明確性が必要なのだろうか。なぜ必要なのだろうか。 それこそ早く齟齬のない理解のためだ。ジェスチャーで会話しようとすると困難だろう。ジェスチャーであるはずの手

          言語はいかに有力か?(2)──乙女座VS魚座

          言語はいかに有力か?(1)──混沌への乙女座的アプローチ

          やたら壮大な名前をつけてしまったが、なんのことはない。混沌にたいして人間はいかにアプローチできるのかという話であり、言語によるアプローチは無力なのか、という話である。 具体的には混沌に魚座を設定し、オポジションをとる乙女座を秩序とし、言語のはたらきをそれと絡めて説明する。次に言語と差異の話をして、牡羊と天秤のオポジションに話を持っていって終わろうと思う。 では早速本シリーズの目次。 1. 混沌と乙女座的アプローチ(この記事だよ) 2. 乙女座的秩序とは何か?──魚座と

          言語はいかに有力か?(1)──混沌への乙女座的アプローチ

          どこまでが私か?(4)──境界は引き直せる

          ちょっと蛇足かもしれないけど、以下では前提の説明と、融合先は機械以外にもある話がしたい。それから、私の出した結論の話をしよう。 4.1. 機械は私たちの意識を変えるほどの存在か? 私のこれまでの文章は一つの前提に立っている。 それは機械が私たちの意識を変えるほどの重要他者であること──これはAmazonのレコメンドを思い出してもらえればわかると思う。 Amazonのレコメンド商品が表示される時点で、私たちの意識は影響される選択肢が出てくることそのものによる影響を排除でき

          どこまでが私か?(4)──境界は引き直せる

          どこまでが私か?(3)──人間はどこまで人間か

          前回は、自分たちが自分であるためには境界が重要だと書いた。もちろん、境界からじゃなくて、中心から自分を把握しようという向きもある。むしろ西洋哲学では、それが主流だった。 3.1. 人間の自己は特別なもの?──(道徳的)行為者性ではまず、当の人間はどう考えられてきたのだろうか? 西洋哲学は人間の自己に特権性を与えてきた(※ルネッサンス以来だと思うんだけどまじでここの歴史は知らないのでさらっと行くよ)。そのトップにあるのが、動物と人間を分かつと考えられていた理性だ。 「道徳

          どこまでが私か?(3)──人間はどこまで人間か

          どこまでが私か?(2)──8室、境界の一時的な消失

          前回は準備運動として、私が考える7室について記述した。これで、8室を説明する準備ができた。 2.1. 生きれば生きるほど純粋な私ではなくなるところで、「どこまでが私なんだろう」と考えたことはないですか?ないか。ない人は以下を読んでください(ゴリ押し)。 7室で誰かと出会って、誰かと親しく付き合ったとき、その人の癖がうつったり、話し方がうつったり、考え方がうつったりすることはよくある。親しくなければ反面教師にしようとするかもしれない。どのみち、相手からの影響を強く受けること

          どこまでが私か?(2)──8室、境界の一時的な消失