11ハウスにおける文化的差異━━「友達」ってだれ?

日本に西洋占星術が輸入されて長い時間が経ち、現在ではさまざまな人がその奥深い世界を楽しんでいるが、しかししばしば「輸入物」ならではの言葉遣いに悩まされることがある。
今回私が文章に書く11ハウスもその一つである。11ハウスは日本語では「友人・コミュニティのハウス」と呼ばれているが、ではそこでの友人とはどのようなものだろうか。私たちが友人と認識しているのは価値観が同じ、しばしば情緒的にも強く結びついた特定の人であることが多いと思うが、しかしこれではあまりにも水的ではないないだろうか。風でいう友人とはどのような人か。ひいては11ハウスとはどのような場所なのだろうか。「未来の部屋」とはどういう意味なのか。
これらの問いを西洋政治哲学を応用して読み解いていこうというのが今回の試みである。今回のシリーズは、以下の通りに分割されている。

  1. 日本でいう友人ってどんな人?

  2. 友人じゃなくても「友人」?

  3. 11ハウスは「未来」の場所

1では、11ハウスにおける「友人」は日本語でいう友人ではない可能性があるということを言うために、まず日本でいう「友人」の描写をする。続いて2で比較のため、西洋的な友人観では日本でいう友人でなくても友人でありうるのではないか、という話をする。3では、西洋的な友人観から導かれる11ハウスの「友人」を明らかにし、ひいてはしばしば「未来の部屋」と呼ばれる意味を明らかにしたい。


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