11ハウスにおける文化的差異(1): 日本でいう友人ってどんな人?

話を簡単にするために、日本でいう友人の話から出発しよう。

日本では知り合いと友人は明確に区別されている(他もそうだろうというツッコミはしないでほしい)。とりあえずこういう時はインターネットだ。

知人と友人の違いは、知人が存在を認知している存在、友人が必然性のある理由を伴わずに自発的に会っている人を指すようだ。他にもざっと見てみたが、内容は大体同じだし、自分の経験を振り返ってもそうかなと思うので、この定義でいこう。

さて、必然性のある理由を伴わずに自発的に会うには、どのような条件が必要だろうか。ちょっと考えてみよう。

趣味が同じ? そうかもしれない。嫌いなものが一緒? それもありうる。しかしここで着目してほしいのは、この両者は「好きなものand/or嫌いなものが同じ」という点である。これらの嗜好が似ているということが真っ先に出てくるのは、私たちの友人関係に対してのイメージを反映していると考えても良いかもしれない。

エレメントで言えば、「嗜好が似ている」は水的である。水エレメントが象徴するのは、感受性や共感、心のつながりなどと言われるが、特にこれらの言葉の中で言えば共感が当てはまるだろう。共感というのは、相手に心を寄せ、より具体的に言えば、他人の意見に全くそうだと同意することである。これは好き嫌いが違っていては、できないことなのだ。

日本では政治や宗教の話をすることは好まれない。政治信条が違ったら交友が切れるかもしれないということは、友人には基本的に、政治信条や何が正しいと思うかという(ざっくり言えば)価値観が同じであることが期待されるということである。これは水的な友人観であるといえよう。

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