どこまでが私か?(4)──境界は引き直せる

ちょっと蛇足かもしれないけど、以下では前提の説明と、融合先は機械以外にもある話がしたい。それから、私の出した結論の話をしよう。

4.1. 機械は私たちの意識を変えるほどの存在か?


私のこれまでの文章は一つの前提に立っている。

それは機械が私たちの意識を変えるほどの重要他者であること──これはAmazonのレコメンドを思い出してもらえればわかると思う。

Amazonのレコメンド商品が表示される時点で、私たちの意識は影響される選択肢が出てくることそのものによる影響を排除できない。現代技術はこういう風に意識に入ってくる、つまり意識を変えてしまう、私たちに選択権はない。
じゃあそれもなお私であるといかにして言えるかというと……、……あっもうちょっと勉強していいですか? 私にわかるのはここまでなんです。

4.2. 7室にあるのは機械だけか?


ハラウェイは現代技術と人間の融合について言っていたけど、別にこれは現代技術に限った話じゃないことも述べておきたい。これは古典的に8室についての記述が示すとおりだし、3.1.でも言及した。
「意志は本当に自分のものか」と問うた時に、首を傾げざるを得ないこともそれなりにある。

まず、意志を意図的にねじ曲げる場合……はそれも一つの意志だから保留して、意志が無意識的にねじ曲げられる場合がある。
前者は例えば、「この集団の規範に合わせなければ」という規範によるねじ曲げ。本当はこうありたいけれど、誰もそれを望まないらしい、と言って無理に性別の規範に従う場合。
後者は本能を利用して仕掛けた人の思い通りに行動させるナッジが挙げられる。

一人の人間の身体の中でさえねじ曲げは起こりうる。衝動的に誰かを助けた時、「体が勝手に動いた」というふうに言うことがある。本人がそれを意志していなくてもだ。
この場合どっちが本当の私なのだろう?

4.3. 少なくともどこまでかは私──任意の境界設定の可能性

もちろん私がここで言いたいのは、少なくともどちらも私だということがありうるということだ。
その二つが混ざって私を作っている。私たちはベタ塗りではなくモザイク画なのだ。

そう考えると自己というものは、中心がどこにあるかよりも(それも大事だけど)、
境界線をどこに引くかのほうがずっと大事で、しかも境界線はいくらでも引き直せるしぶれたりするというほうが実情に近いのかもしれない。
8室は個の意識が消えるというけど、本当に全てが消えてしまうことはないんじゃないだろうか?

と考えている私は、7室に水瓶座の太陽火星(と金星)があることを申し添えておきたい。オチがついたね!

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