折り合い

美味しいご飯を食べて「美味しいな」って言い合って、面白いものに出会ったら「面白いな」って言い合う。
それだけで本当に良くて、それ以外は何も望まない。嘘。
お金に余裕を持ちたいし、容姿を良くしたいし、人から好かれたい。
幸せに過ごしたいし、楽しくありたい。
想う人とは一緒にいたいし、応援してる人の未来を見てみたかったりする。
誰もがそんなことを思っていて、人生に満足した人なんてそうそういない気がする。
いたのならその人はもうこの世にいないかもしれない。
“満足していない”という事実が、“生きていること”だと仮定すると、僕は100歳になっても満足していないのだろう。
満足は、折り合いとは違う。

自販機の底に落ちた100円は取るのが大変だから諦める。雨の日は癖毛が暴走して前髪がぐちゃぐちゃになる。
日々、小さな折り合いをつける。

「嫌われるのなんて仕方ない。」
そう折り合いをつけると、好きな人との時間を大切にできる。
「なりたい自分になることをやめる。」
そう折り合いをつけると、キラキラした人を妬むようになってしまう。
良い意味でも悪い意味でも人は折り合いをつけながら生きている。

僕が思うに「生きることに折り合いをつけた人」は強い。
「死ぬことに折り合いをつけた人」も同義である。
そういう人は純粋に長い暇つぶしを遊んでいるように感じる。
今の時代は指先一つで色んな人生や、色んな著名人を検索することができる。
僕が尊敬するのはそういう折り合いをつけている人だった。
きっと「生きることに折り合いをつけたんだ」と言う人はいないだろうし、わざわざ言語化しないだろうけれど、“生きていくしかないという諦め”を持った人は強い。
自らの満足を真っ直ぐ追い求めることができるのである。あくまで満足し切るわけではなく、追い求めるのである。
それを“人生が楽しい”と表現するのかもしれない。

見てみたい未来や、会いたい人が生きている限り、死ぬ時に満足することなんてないのだと思う。
だから満足することに折り合いをつけたくても、できない。
全ての満足に折り合いをつけることなんてできないと諦め、何かしら今日もする。
何かしら今日も考えて、何かしら今日も食べて、何かしら今日も服を着る。
美味しいものを食べて「美味しい」と言ったり、面白いものを「面白い」と言ったりする。それでいい。
自販機の下に落ちた100円はどこかへ行った。


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