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5月:初めての精神科病棟入院、等々②

〜前回の続き〜

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またまた救急車で運ばれた。
記憶はあまりないが頭がすごく痛かったのは覚えている。
総合病院に1泊入院したが入院中の出来事や会話の内容はほとんど覚えていない。

退院する直前に精神科の病院に転院することを勧められた気がする。
勧められたというか転院することが決まっていた?あまり覚えていない。

病院を出て同居人(元夫)と一緒にタクシーに乗せられ転院先の病院に向かった。
まだ頭も身体もフラフラしていた。

病院の夜間受付の窓口に行き、職員が案内する後をついて行き、その後医者っぽい人から今回の入院について説明を受けた。

「医療保護入院」と言われたが、説明の中に「隔離」や「期間は最大3ヶ月」というワードが出てきた辺りからパニックになった。

私は去年から今年にかけて7ヶ月休職しており同じ病気による休職は会社の規定でもう出来ないことが分かっている。
有給休暇と私傷病休暇を使うしか休む方法はない。それらを使い果たしてもまだ休まざるを得なくなれば退職するしかないのだ。
有給休暇も私傷病休暇も既に何日かは使っているので3ヶ月も入院していれば絶対に退職になる。
「仕事も無くなって収入も無くなる上に入院費を払わないといけなくなる?」
一気に不安感が襲ってきた。

「ちょっと待ってください。そういうことなら今回は入院しません。帰ります」
そう言っても「ダメです」の一点張りだった。
上に書いたように事情を詳しく説明したが、
「あなたが退職することになっても私の心は全く痛みませんし動きませんよ。全く」と言われた。
凄く嫌な言い方だ。
頭も身体もまだフラフラしている私には訳が分からなかったし腹立たしかった。

仕事と収入がなくなる上に入院費がかかることは私にとって一大事だ。大切なペットに3ヶ月も会えなくなることも。でも自殺を図った人間がそんなこと言う資格は無いとも思えた。

「入院するのは私なのに私の意思で入院するorしないを決められないってどういうこと?」

自分で自分のことを決める権利を奪われた。
そのことが一番辛かった。

「あなたは精神障害者だから。頭がおかしい人だからあなたのことは私達が決めるんですよ」
そう言われてる気がして。

まだ間に合うんじゃないかと思い帰ろうとしたがもう遅かった。
大人5〜6人に囲まれ逃げようがなかった。同居人の姿はいつの間にか視界から外れ見えなくなってしまった。

必死で抵抗したが無理矢理「保護室」というところに連れて行かれ、今度は身につけているアクセサリー等(ブラジャーも)を外し服を着替えるように言われた。
身につける物を自分で選べず命令されるのは屈辱的で物凄く嫌だった。人権が無いと思った。

そしてこの部屋。
トイレに扉がない。床には10センチあるかないかの薄いマットと布団、枕が置いてある。
段ボールで作られた簡易的なテーブル。
窓はあるが外の景色は全く見えない。もちろん開けることもできない。
扉は外から施錠されるようになっていて内側からは開けられない造りになっている。
スマートフォン含めありとあらゆる物の持ち込みは禁止。何もできない。
まるで映画で見る刑務所みたいだ。

「私はそんなに悪いことをしたのだろうか?」
そう考えてしまうような部屋だった。
余計鬱になりそうな部屋だった。

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