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tabiwa広島ワイドパスで島めぐり編。

tabiwaを使った広島県島めぐりの想い出について、お話しします。


竹原の重伝建地区
重厚な黒漆喰の町屋建築が特徴

旅での感想を述べるという、ありがちなブログ回です。
今回ご紹介するのはコチラ、JR西日本グループのMaaSアプリである「tabiwa」でございます。
JR線を含めた複数のフリーきっぷのほか、有名観光地の電子チケット、お得な割引などを提供。
これらはすべてスマートフォン上で購入・管理が可能であり、まさに現代のMaaSといった目新しいサービスです。
(さらにICOCAで改札が済むのなら文句無いのだけれど…いちいちスマホを取り出さないといけないのはメンドクサイ…!)

具体的にはこの「広島ワイドパス」を用いて、広島県内2泊3日の旅をしてまいりましたので、その記録です。
お値段4600円也。3日間有効。
や す い !

本乗車券は対象のフェリー路線が多いので、JRの未訪路線にも乗りつつ島巡りを堪能して参りました。
tabiwaの楽しみ方の、ひとつの参考になれば幸いです!

↑↑ 香川県内の離島巡りの様子です ↑↑


要塞跡を踏みしめて、大久野島。

おはようございます。ここは広島県東部にある三原駅。
旧三原城の直上を新幹線・在来線がブチ抜いているという、あまりにも異様な駅の光景に驚きです。
小早川氏の居城があった程度の知識だけあり、それに何度も通り過ぎて車窓では眺めたことがあるものの…
いざ歩いてみると凄まじいですね!!

駅から徒歩圏内の港へ向かいまして、早速フェリーに乗り込んでいきます。
方面は大久野島行。
その他にも多方面への路線が就航されている様子に対面すると、瀬戸内海の狭い範囲に「大きな島」が複数あるんだなァと改めて実感します。

最近は香川県周辺の海の景色に慣れてしまっているので、大きな島の遠景があるというのはもの珍しさがあります。
塩飽諸島などは意外にもこじんまりとしていますからね!
遠ざかっていく本州を見送りつつ、沖合へ出ると進行方向左手には大三島など愛媛県側の島々が。
かつてサイクリングを楽しんだしまなみ海道・多々羅大橋も肉眼で確認!
筆舌に尽くしがたい美しさ、多島海の風景ですねェ…。

というわけで40分ほどの船旅を終えまして、大久野島へいざ上陸です。
瀬戸内海芸予諸島を構成する島であって、本州・大崎上島・大三島などがはっきりと肉眼で見えることから、航路上の重要であったという地政学的条件が垣間見えます。
周囲4.3kmの小さな島ですので、歴史を噛みしめながらお散歩するにはちょうど良い具合ですね!

しかしながら現在、大久野島は「うさぎの島」として大変話題であるようで、訪問当日の5月某所、ホテル従業員しか住んでいない実質無人島とは思えないほどの人混みでありました。
あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~
・・・観光客が多すぎます!!!!!

とまァ、今回の目的はウサギではございません。
いい天気に恵まれたお散歩を楽しみつつ、やや標高を上げて島の中央部へ進んでいきます。
山肌の白みがまさに花崗岩の真砂土を感じられてよきです。

辿り着いたコチラはこちら中部砲台跡。
先ほどまでの喧騒とは打って変わり、頑強な煉瓦構造物にそれを取り巻く植物たち、ある種の緊張感すら覚える空間です。
そう、大久野島はかつては「軍の島」そして「毒ガスの島」。
日清・日露戦争期にかけて砲台群が建設され、さらに昭和四年以降から終戦までの期間には帝国陸軍による毒ガス製造が行われていたという歴史があります。
そして件のウサギは、毒ガスの実験動物が生き残ったもの…

と、私も訪問前までは思っていたのですが。戦後の毒ガス施設関連処分の際に全羽殺処分されたということなので、実のところ地元の小学校で飼育されていた個体が放されて繁殖した説が有力であるそうです。
島内棲息のアナウサギ(Oryctolagus cuniculus)は侵略的外来種なんスけど…
いいんスかこれで

Wikipedia記事がやたら詳しく生々しく毒ガス製造の歴史をまとめているので、ぜひご一読をば。
また、島内にある大久野島毒ガス資料館にてそれら情報が詳しく語られているので、そちらも一緒に行っておきましょうね!

さて、砲台跡は封鎖されていなかったのでいざ侵入しましょう。
煉瓦&コンクリート造りの堅牢な構造物、垣間見える赤色が印象的な外観。
以前対馬を訪問した際に同時期の砲台跡を訪問しましたが、こちらは陽の当たる場所にあるからなのか、なんだか美しさすら感じられます。
そして100年以上前の建造物であるとは信じられないほどの安定感があり、廃墟ながら不思議なくらい「壊れそう」という感覚がありませんでした。

しばらく移動しまして北砲台跡へ。
こちらも巨大な煉瓦建築物が散策路を周辺を取り囲むように鎮座しており、異様な迫力に圧倒されます。
もちろん崩落のおそれがある箇所は封鎖されているものの、全体としてあまりにも保存状態が良い。
ロマンいっぱい妄想がはかどりますね!!

忠海港行フェリー乗り場直近にあるのは発電所跡。デカい!
三階建ての巨大な鉄筋コンクリート造りの建築物が自然の中に朽ち果てていく様を覗き込むことができるという、何気に凄まじい場所。
ウサギで名を知られているとは思えない、スゴイ観光地だなァ…
しっかりと盛り土やらトンネルやら植え込みやらで建物を隠そうとしているのは興味深いですね!

そんなわけで、大久野島。
特殊過ぎる島の歴史を心地よいお散歩で体感できるという、ステキな想い出となりました!


溺れ谷と煉瓦隧道、大崎上島。

続いて訪問しますのは大崎上島。竹原港に行きましょう。
呉線竹原駅からは微妙に離れているのがちょっと不便!
乗り換えに間に合うように早足で向かいつつ、港にある道の駅で地元食材のお弁当を買って船に乗ります。

海から眺める大崎上島ですが、最大標高452mとなる切り立った山の切れ込みが実に印象的です。
幹線道路は海側ギリギリにあるのでおそらく埋立地、島には現在も複数の港があってそれぞれに航路が設定されていることから、かねてより集落間の移動は船に依ったのでしょう。
そしてそんな景色から瀬戸内海をうみ出した複雑な海進・海退サイクルをふと思い起こせば、海水の出入りによって形成された地形が陸上あるいは海底に現在も残されているのではないかと気づかされます。
すなわち島々は海進面が今日よりもずっと低かった時代の山々であって、この切り込みは海水の入り込んだ谷の部分であったことはず。

そんな地形変動のダイナミズムをなんとなく感じられる大崎上島の景色を眺めまして竹原港から25分、降り立ったのは島東部に位置する天満港
港周辺にみっちりと集落が詰まっており、そのすぐ後ろに威圧感ある地山が迫っているという島の風致。
家々の軒がやたら高く、しかしながら純粋な漁村とは断定できないような不思議な往来が続きます。
いざ陸地を歩いてみても、やはり元来人が住めるような平地は極端に少ないと感じられ、現在の幹線道路や道幅のある箇所は近代以降の埋立地なのだと推察されます。

さて今回は天満港で自転車を借りまして、島の北部へと抜ける峠を越えていきます。
面積約43㎢という大きな島ですから、いくら自転車とはいえ1日だけで楽しむことはできません。
というわけですので、地図にて気になりましたとある隧道を目的に右往左往して参ります。
坂に張り付くような小さな家々の集落が点在する感じ、まさしく離島の風景といった感覚がありステキです。
むしろ自転車の方がキツイ傾斜だ!!

数回峠を越えてきまして旧東野町に到着。
大字上組に向かう分岐を選びましてしばらく進むと…
なんだか手作り感のある擁壁が見えてきましたね。

はい、こちらが今回の大崎上島訪問最大の目的地である上組隧道。
こちら南側坑口からの図です。
地元で切り出したであろう石材(流紋岩orデイサイト?)で組み込まれた石垣の中に煉瓦でしっかりと固められた隧道がスーッと延びているのが重厚ながら可愛らしくもあります。
観光協会のホームページによりますと、開通は昭和四年ということなのでもうすぐ百寿のベテラン隧道。
入ってすぐの壁面に、地元有志や出資者の名前がズラッと刻まれている石碑が懸けられているのが珍しいですね!

隧道基部は石材で上部からアーチ部を煉瓦で組むというありがちな構造ですが、そこはかとない「手作り感」。
石材も煉瓦も、しばし観察してきた明治~昭和前期の旧幹線道路に造られた精巧な煉瓦隧道とは一目見て異なる、言ってしまえば雑で荒っぽい組み方であり、味があります。
道幅も軽自動車1台分ピッタリ分くらいとたいへん狭い。
事実ミカンを載せた地元住民の方の軽トラックが通行している光景を目撃。
ほんとにギリギリのギリギリの幅で、ある意味ビックリ。
全長52.4mと長くない隧道ですが、これほどの凹凸がある島です、今でもしっかりと住民の便になっていることが知れたのは嬉しいですね!

コチラ北側坑口の図。
コンクリートでしっかりと固めてあるため南側のそれとはまったく印象が違います。
そして隧道を抜けると海へと続く爽やかな坂道が続いています。
ほんとうに青空が映える隧道ですね…
いざ隧道に侵入すると煉瓦の赤みが出てくるものですから、目に映る水彩世界が一気に面白くなります。
やはり煉瓦隧道は良いものだ!!!

素晴らしい隧道探訪の後は大崎上島町役場付近へ降りてきまして、あまりにも心地良い海辺のサイクリングを楽しんだり、海と島の歴史資料館・大望月邸にて船枻造りへの理解を深めたり…

天満港に戻って圧迫感のスゴイ町並みをぶらぶら眺めたり、謎の竜宮城風味のある?巨大オブジェクトを登ったりしまして…
(コチラ建造物はかもめ館、島内最高峰・神峰山へと続く登山道になっているようでした)

天満港から再度船に乗りまして島内散策完了です。
正直時間が全然確保できなくて急ぎ足となりましたが、なんやかんやで想い出に濃く残る経験がいくつもできました。

次の目的地はさらなる離島、大崎下島へ。
味のある離島だったなァ、やっぱり山の切り込みスゴイなァ、もう西日じゃないか、次の島ではどんな風景が待っているのだろうと思いつつ、サイクリングで疲れた身体を休めながら海風にあたります。
最高の・・・非日常の瞬間ですね!


瀬戸内の海運を体感する重伝建地区の町並み、大崎下島。

大崎上島から海を渡ってきた最後の島は大崎下島
島内で一泊しまして、朝一番に向かいますのは御手洗の集落。
御手洗は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された町並み…
そう、いつもの如く重伝建巡りのお時間ですね!!

瀬戸内海の要所にある呉市豊町御手洗は、北前船西回り航路の潮待ち・風待ちの港として栄えました。
島嶼部巡りを経て同地に訪れたからこそ、その歴史もよくよく実感できるというものです。
というわけで前日の宿泊地であった大長集落から歩いて来まして、北側より地区内に侵入。
一瞬にして空気感が変わり、出格子に白漆喰、瓦葺の色合いが強烈に網膜に焼き付けられます。
中二階・平入の町家建築に遭遇したと思ったら、しばらくすると軒が高い建物が増えていき…

コチラの常磐町には切妻造・平入・白漆喰塗籠の町家建築が整然と並んでおり、圧巻。
事前情報によると、集落造成時の17世紀中頃から19世紀初頭にかけて海岸が埋め立てられ、時代によって街区の特徴が変遷していったとのこと。
大崎上島同様、大崎下島も海際に迫る地山が巨大であって人が集住できるような場所が少ないから、確かにこれだけの町家群をつくるためには埋め立てが必要だとなんとなく察せられます。

間口が狭く奥行きの長い妻入町家が連なり、集落中心路に小路が網の目のように張り巡らされています。
これぞ「The・和風」の町並み!観察のし甲斐がありますね!!
よくよく見てみると、妻入に混じって平入の町家があったり、腰部分の意匠に各屋の個性が出ていたり、軒の高さの違いから建築年代の違いが感じられたり、興味深い。
そして狭い道を歩くという特性は同じでありながら、現代コンクリートジャングルの路地裏とは全く感覚の異なるこの空気感…
たまらないですね!

江戸後期から明治期の町屋が残る一方、昭和初期にかけての洋風建築も複数見られ飽きさせない景観であります。
コチラ写真は「和風」の町並みの中に突如として出現する、水色下見板張りの散髪屋さん。
どう考えても異様な存在ですが、不思議なくらい御手洗の風致にマッチしていてスゴイ!
町家建築に時計のモニュメントが吊り下げられている現役時計屋さんも、小路の雰囲気にメリハリを与えてくれます。

集落から丘に登ったところにある満舟寺は、深緑の社叢が美しい長閑で神聖な感じのある場所ですが…
その境内は大迫力の石垣で囲われていて、かの築城名人・加藤清正が築造したという伝承が。
さらに驚くべきことに解説版を見ると、なんと琉球王国使節による揮毫が額に残されているというのです!
すなわち計18回の琉球使節江戸上りのうち、文化三年(1806年)の謝恩使が翌年の帰途の際に御手洗に寄港し、同行していた中山薬師梁光地なる人物が寺号を認めたとのこと。
遥か南西より続く海上の道を進み続け、ここ芸予諸島辿り着いてひと時の安らぎを求めたという歴史の舞台が、御手洗。
教科書だと「ふ~ん」で終わる琉球慶賀使・謝恩使ですが、そんな海の壮大さを改めて実感する記憶でありました。

住吉神社周辺の住吉地区には江戸期に西国諸藩が船宿の遺構、一棟の家を壁で仕切ることで数軒にした棟割長屋などが残り、いままでの町並みとは印象が変わってきます。
そして一段と目を惹くのは神社脇に延びる石堤と白い灯台。
コチラは全長六十五間(約120m)、当時「中国無双」と謡われた千波子波止。
江戸後期になると瀬戸内各地の港との競合から広島藩は御手洗港の拡張に迫られ、文政十一年(1828年)より丸一年かけて築いた消波堤です。
写真では伝わりにくいですが、実に大規模で壮観な、往時を想起させる港造成の光景を体感できます。

尋常じゃないくらい景色がいいですね…。
対岸に見えるのは愛媛県今治市方面、広島県側からこうして眺めてみるのもまた一興です。
そんなわけで、地区ごとに微妙に違いのある町並みに、大波止、石橋、高灯篭、石垣護岸、雁木などが一体となって港町の風致を形成している、御手洗の町並み。
たいへん穏やかな、離島の時間でした!


おわりに

稻生物怪録の舞台・三次

以上、tabiwaを用いてじっくりと楽しんでみました、瀬戸内海芸予諸島巡りの想い出でありました。
いままでは忙しない長距離乗鉄旅がメインであり、ひとつの都道府県を2泊3日でじっくりと過ごすことはなかったので、新鮮な感じがありつつも圧倒的な島旅ロマンの満足感を吸収。
とはいえ島旅だけではなく、未訪だった芸備線・福塩線に乗るなど乗鉄旅として沿線の気になるスポットをいくらか探訪でき、非常に充実度が高かったです。

分水界泣き別れ(広島県安芸高田市)
典型的な谷中分水界・河川争奪地形

 ちなみに、今回利用した経路をまとめますと…

〈JR〉

  • 大門駅→三原駅(山陽本線)680円

  • 忠海駅→竹原駅(呉線)200円

  • 竹原駅→呉駅(呉線)770円

  • 広島駅→向原駅(芸備線)860円

  • 向原駅→三次駅(芸備線)510円

  • 三次駅→神辺駅(福塩線)1520円

〈航路〉

  • 三原港→大久野島 1600円

  • 大久野島→忠海港 370円

  • 竹原港→天満港 900円

  • 天満港→大長港 780円

  • 大長港→竹原港 1510円 

  • 呉港→小用港(江田島)450円

  • 小用港→広島港 950円

総計して、11000円分の利用!!!
十分元は取れましたね!ヤッス!
tabiwaは他にもお得そうなパスがたくさんありますので…
次は山陰エリア辺りで、楽しんでみたいですね!

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