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空前の離島巡りマイブーム:対馬編。
対馬での想い出について、お話します。
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空前の離島巡りマイブームの冷めやらぬ、今日此頃。
その一環として、かねてより行ってみたかった長崎県の対馬へ、愈々足を運ぶことといたしました。
九州の北西部、朝鮮半島を臨む立地にある絶海の離島・対馬。
前々から行きたいとは思っていたのだけれど、やはりその立地とアクセスの不便さから、なかなかに決断ができない…
しかしながら、対馬でしか体験できない感動もあるし、今後誉れある離島マニアを名乗るのであれば、やはり訪れておくべきでしょう。
ということで、行きました。
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おはようございます。
博多港からジェットフォイルで2時間半程度、対馬の中心地・厳原港へやって来ました。
リアス海岸が卓越する対馬とは聞いてましたが、美しい内湾から始まるこの町を見るだけで、その一端が垣間見えます。
さて、港からのアクセスなのですが…
対馬自体が大きな島であるということ、バス網がちょっと足りなそうだったこと、行きたいスポットが点在していることなどを総合的に勘案して、今回はレンタカーで。
目的その1:平柱建築を見たい!
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そんなわけで始まりました対馬旅行ですが、目的は大別してふたつ。
いつもの瀬戸内離島巡りとはわけの違う、大きな島を行くのですから、集中して楽しんでいきましょう!
ということで目的のひとつ目は、民家探訪。
対馬の民家様式は本土のそれとは異なる、特殊な建築様式が存在していることは有名です。まず素人目でも気付くのは、平柱。
一般的な柱というと、概ね正方形や円形の「柱」となるのですが、この平柱は、そうした柱を半分に切ったような扁形の見た目が特徴的。
気仙大工による建築でも見られるようですが、私にとっては初見。
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対馬において平柱が用いられるのは、オモヤ(主屋)・コヤ(倉庫)・ウマヤ(畜舎)。
今回の対馬巡りで最も多く目にしたのは、高床式が特徴なコヤたちです。
椎材に瓦屋根、対馬の家屋で唯一の鍵をしているものの、その素っ気ない見た目がステキ。
仕口にカワシオオドコという栓をするのは対馬固有ですね。
しっかりと下から覗きましょう!
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対馬の北東部こちら鰐浦では、クラが所狭しと集落内に建てられており、圧巻。
先述の木材&瓦スタイルのほかにも、木材を木材で補強したもの、トタン張りのものなど、カラフルで面白い。
クラの前、海を間近に臨むこの広場は「ベードコ」と呼ばれる共同作業場。
主に磯部での漁獲物を処理する作業場として使われていたようですが、現在では駐車場にしか見えませんね…
時代の変遷を凝縮したような、凄まじい景観です!
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鰐浦のほか、西海岸にある青梅や椎根でも、小規模な群倉を確認。
こちら椎根のものは「石屋根」として知られており、その通り石葺きの瓦がスゴイ。
瓦の上に石を置いている屋根は他の集落にはありましたが、椎根のものは総石瓦葺きであり、なかなかの迫力。
また珍しくここ椎根では、私以外の観光客を目にしました。
いったい何目的なんでしょうかね?
オモヤやウマヤについても調査したかったのですが、如何せん公開民家が無いので、人ん家や廃屋をなんとなく眺める程度に終始。
なかなか住民の方に出会えず、声をかけてどうこうすることもできず。
というか、伝統的な様式を保つオモヤ・ウマヤを見かけなかったですね…
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そのための研究施設だ!
ということで、厳原にある対馬博物館に行き、手掛かりを探ってみました。
建築についての展示は皆無でしたが、受付の方に尋ねたところ専門の学芸員さんがいらっしゃるとのことなので、お話させていただきました。
以下、その際の聞き取りメモです。
平柱は市街地ではほとんど見かけず、あったとしてもコヤのみ
→オモヤは改築の際に現代風に改められるが、コヤはそのまま使っているからだろうウマヤを本来の用途で使う民家は現存せず
→対州馬は市の管理となっているため民家の複数玄関について、不明
→古い民家では確かにあるが、勝手口程度の認識であろう土間極小型の様式について、不明
→少なくとも一般住民の意識としてはその認識はない平柱の大工は四半世紀前にはふつうにいたものの、今日では途絶えた可能性が高い
→仮にいたとしても現役から退いているだろう
→すなわち、今後平柱建築は減っていく一方であり、増えることはない数十年前に重伝建登録についての打診があったが、地元住民の理解を得られず流れた
対馬における建築研究も十年ほど停滞している
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ついでに、夜ご飯をいただいたお店のお母様と娘さんに聞き取りしました。
厳原で70年暮らしているお母様にとっても、これら対馬特有の建築様式は「古い家」程度の認識であり、そもそも深く考えたこともない、とのことです。
しかし複数玄関の様式については、複数世帯が住んでいることによる別ではないかとおっしゃっていたので、もしかしたら隠居制度との関連があるのかもしれない。
また、豆酘のお知り合いが「古い家」に住んでいるとのことなので、再訪時に、ご紹介してくれるとのことです。
アッ… 再走しなきゃ…
目的その2:聖地巡礼
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皆さんお馴染み名作ゲーム「Ghost of Tsushima」。
対馬を舞台に繰り広げられるオープンワールド時代劇でありますから、記憶の片隅に地形やら地名やらなんやらの対馬知識がへばりついており、訪問してみたかったわけなのです。
まあ「目的」とはいいつつも、ゲームをしながらなんとなく記憶していたそれらの要素が、上記民家巡りの中で確実に現実世界において妥当するのだと体感できたことで、すでに大満足。
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それでも、やはりゲーム内でも印象的な場所に訪れると、実際ワクワクするというもの。
先ほども登場した青梅といえば、主人公・境井仁の生まれ故郷。
ゲーム内で印象的な青海池は現実には無いものの、実際には穏やかな谷間の漁村といった印象。
平柱建築をはじめとした伝統的な家屋が残されており、落ち着いた雰囲気がとても良い。
浜から朝鮮半島を目視できるということで、対馬の民たちにとっての、元寇の恐怖を実感できる場所です。
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「誉れは浜で死にました」でお馴染み、こちらは小茂田の浜。
延々と続く対馬のリアス海岸内に形成されたわずかな砂浜は、外敵にとっては格好の上陸場所。
元寇の折、ここに上陸した蒙古兵と闘い、対馬武士たちは全員ここで討ち死にしたのです。
浜に隣接する神社には、志村殿のモデルとなった当時の地頭代・宗助国の銅像が凜凜しく立っております。
ここで誉れが死んだんだなぁ…
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最後。
対馬の玄関口であるここ厳原の町は、江戸時代にかけて宗氏の居城が置かれた対馬府中。
その宗氏の菩提寺である万松院は、ゲーム序盤で印象的な黄金寺のモデルとされています。
実際には黄金とまではいかないけれども、夕日差し込む厳かな境内からは、さもありなんといった感傷に浸れます。
田舎のお寺って、良いですよね…
おわりに
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以上、想い出に残りすぎる対馬の想い出でございました。
港到着後14:00にレンタカーを借り、翌日同時刻に返却、厳原を徒歩で散策した後一泊し、翌日のフェリーで博多へ。
ずっと急ぎ足の旅でしたが、東奔西走行きたいところへはしっかりと足を運ぶことができたので、おなかいっぱいです。
郷愁に満たされながら船に乗り、また行きたい…と呟いてしまうほどの感動は、私史上珍しい。
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対馬で得た感動は、他にもまだまだたくさんあります。
これらは拙作「NKTIDKSG国内旅行」シリーズにて紹介しておりますので、ニコニコ動画復旧後、リンクを貼っておきますね!!
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