akane

28歳、田舎で楽器講師を細々としております。アラサーの惨めなもがいた記録として。

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28歳、田舎で楽器講師を細々としております。アラサーの惨めなもがいた記録として。

最近の記事

#8 生きる意味なんてないと言うけれど

ディズニープラス限定で観れたジャズピアニストが主人公の映画、「ソウルフルワールド」で、「生きる意味(生まれた意味だったかな?)なんてないのにねぇ」って天界?の人が呟いてるのが妙に印象的で覚えてる。 最近思うのが、「神様はなんで私をこの楽器でスタートさせたのか」(楽器の種類は敢えて伏せます) 私が高校時代に吹奏楽部に入り始めた楽器は クラシック奏者が多い正統派系の音楽が得意なもので、ポップス系のサウンドが少し苦手である。が、私はクラシックを突き詰めることはこの先多分無く、自

    • #7 これが書きたくて#7まで来ました

      奏法の解決方法に一筋の光が差し込んだのは2021年の冬、28歳。奏法がおかしいと気づいて半年が経つ頃だった。ピアノが全く弾けないことも恥ずかしかったので、オンラインのジャズピアノも半年前くらいから習い始めた。2022年3月現在、奏法もまだ完治していないし ジャズピアノも形になっていないが、なんとか「分からないものを無くしたい」という思いで生きている日々である。 そして、「最初に」に書いた某ミュージシャンのnoteを読んで、の話になるのだが(ここを書きたくて#1からワーーと走

      • #6 20代の軌跡とは

        2019年、26歳。憧れのプレイヤーと出会い、もう一度楽器を、好きなジャンルを奏でたいと思うものの、全く行動に移せなかったのは1つ。 部活指導を相変わらず人生のど真ん中に設置していたから(もちろん自分の責任です) 非常勤講師の収入が中心だったこともあるが、一度どっぷりと浸かってしまった手を引くことはなかなか出来なかった。 ジャズやポップスの世界に入りたいと思った心は自分の演奏に向くかと思いきや、部活指導に向けてしまった1年がある。それが2019年。吹奏楽は基本オーケスト

        • #5 価値観がコツンと切り替わった話

          2017年頃から面識はあったものの、あまり話す機会がなかったミュージシャンの方と、ライブの共演で再開したのが2019年。akane、既にここで26歳。立派なアラサーである。 ライブというのが、自分の楽器の師匠が主催していたライブに少しだけ出演しないかとお誘いいただいたもので、そこに前述の方も出演されて再会を果たす。楽器は本当に細々とやっていた。ありがたいことに非常勤以外のレッスン業もチラホラあったので、レッスンをするために ある程度の維持は必要だったので練習はしていたが、本

        #8 生きる意味なんてないと言うけれど

          #4 沼って目線がズレていく話

          最初はとにかく部活指導が楽しくて、生徒はみんな可愛い、愛しい。合奏もどんどん良くなっていく、より高みを目指してみんなでいけいけゴーゴー!・・・だったのが、段々と自分ひとり目線がズレていく数年の話。 その部活に携わり3年目に入る頃、部活が崩壊しかけるほど生徒たちとぶつかった時があった。進路と部活が両立できる/できない のよくある話である。最後まで分かり合えず、部を離れた生徒もいた。残った生徒たちのためにもコンクールは絶対に成功させたい。結果を出して、上位大会へ・・・となればド

          #4 沼って目線がズレていく話

          #3 人生を溶かしはじめた日々

          バイトばかりしていた自分に巡ってきた指導の仕事。飛びついた。断る理由がなかった。 秋から指導を始めたその高校の吹奏楽部は、よくいえば「自由」、悪くいえば「無法地帯」状態だった。パート練習が機能していない、後輩が先輩に怯えている、顧問は職員室から出てこない。逆に燃えた。伝統がないということは、自分がイチから作っていけばいい。いきなり現れたぽっと出 22歳の講師に怪しむ生徒たちを尻目に、部室の掃除をしていたのが最初1~2か月だったと思う。 3月に初めての定期演奏会があり、今ま

          #3 人生を溶かしはじめた日々

          #2 暗黒の短大時代

          それまで吹奏楽部でぷーぷー吹いてただけの私が、高3で突然「楽器を続けたい」と言い出し、周囲の反対を押し切って短大の音楽学科に進学。 #1で前述したように、吹奏楽の強豪校でなかった高校だったので、たいして演奏技術がなく、まず短大の入学当初さっそくつまづいた。 周りの同級生は、短大といえど「音楽が好き」という人生を送ってきた子たちばかりで(当たり前だが)、吹奏楽の全国大会出場校出身の子、小学生からピアノも吹奏楽もやってきた子、など 当たり前に自分より演奏ができる子ばかりだった

          #2 暗黒の短大時代

          #1 音楽を全くやってこなかった私が楽器と出会うまで

          まず最初に、私はずっと心に煮詰めた、意地のような夢がある。 「演奏業で生きていきたい」 意地のような夢、と書いたということは予想できると思うが、今現在それが叶っていない。なぜか。 2008年頃、akane  中学生に時を戻す。 中学は友達に誘われてバドミントン部に。ただ、運動音痴すぎたためほぼ部活をサボっていたし 大会は当たり前に初戦敗退。音楽の経験は全くなし。ピアノは幼少期に母が体験レッスンに連れてってくれたものの、私が嫌がったらしく始めることはなかった。(これは本

          #1 音楽を全くやってこなかった私が楽器と出会うまで

          最初に

          このnoteは、90%は未来の自分が読み返したときに歩いてきた足跡が分かるように、10%はもしどこかの誰かの目に止まったとき ほんの少しでも こんな人間がいて、なんかしら感じるものがあれば、といった思いで始める。 本当に、情けもかけられないほど怠惰な人生を送ってきた記録だけなので、ご承知おきください。 今日は2022年3月6日。昨日、京都の伏見稲荷と安井金比羅宮に参拝し、伏見稲荷の頂上まで登った筋肉痛を感じながらこれを書いている。 夕方頃、ふとTwitterのオススメに

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