#7 これが書きたくて#7まで来ました

奏法の解決方法に一筋の光が差し込んだのは2021年の冬、28歳。奏法がおかしいと気づいて半年が経つ頃だった。ピアノが全く弾けないことも恥ずかしかったので、オンラインのジャズピアノも半年前くらいから習い始めた。2022年3月現在、奏法もまだ完治していないし ジャズピアノも形になっていないが、なんとか「分からないものを無くしたい」という思いで生きている日々である。

そして、「最初に」に書いた某ミュージシャンのnoteを読んで、の話になるのだが(ここを書きたくて#1からワーーと走り書きしました)

簡潔に言うと内容は、ジャズができるようになるまでの軌跡を細かく書いてくれていたもので、執筆者も同じような苦しみを通って プレイできるようになった、といった話だった。まず、そこに「誰しも最初はつまづくんだな」と勇気のようなものを感じたこと、そして「はて、ジャズってなんだ?」と思ったこと。


私がずっとやりたいと言っていた「ジャズ」ってなんだ?

執筆者の胸焦がれているものと、私が胸焦がれているものは同じか?

もしかして、私、「アドリブしたい=ジャズできるようにならないと」って思っていた(※実際そうである部分もあるし、それが100%でないことも分かっているが)頭のどこかでそう思い続けていた、と気づいた。


※再度、情けもかけられないほど怠惰な人生を送ってきたこと、自分を反省する記録だということをご承知おきください。


様々なジャンルをひとくくりにして「ジャズ」と呼んでいたことに申し訳なさを感じ、世の中のジャズを心から愛し演奏するプレイヤーへの「劣等感」がスッと胸から降りた感覚がした(アレだ、昔 好きだった男に我慢し続けてきた上で言いたいこと全部言った時の爽快感に似てた。胸がスッとするって本当にあるんだなと思ったアレ。)

比べるまでもないくらい別の高レベルの世界の人たちと自分を比べて、1人で病んで。なんとバカなことをしていんだ。そして、全くそこに追いつかない理由も分かった。やりたいと思い描いてる音楽と、ジャズが別物だった。


「ジャズ」が至高、それ以外の音楽は「中途半端」。そんな感覚だったんだと思う。世の中のミュージシャン全員に地面に頭こすりつけながら土下座案件だなと自分で思う。歪んだ価値観だった。

そして思い出す。私が「心が震えた時」ってなんだったっけ。

ジャズやファンクができないと思っていた楽器で それを形にしてるプレイヤーの演奏を聴いたとき。ジェイコブコリアーや、ロイハーグローブ、Nujabesを初めて聴いたとき。最近はuyama hirotoのwaiting for...という楽曲が美しくて、美しくて、涙が出た。そして先日、関口シンゴトリオ(そのライブの限定バンドだった)を生で聴いて、プロって、この音か…!と本当に感動して心が震えた機会があった。

テンションが積まれたサウンドが好きで、シンプルで美しい音に心打たれたんじゃないか。それを目指して、チャーリーパーカーのオムニブックを開いていたのはやっぱり私ズレていたんじゃないか。(オムニブックはいつかきちんとやりたいとは思っているが、今の視点で言うと の話)

もう、歳も歳なので、あれもこれもと手を出す時間は無いなと思った時、心が震えた音楽だけでも、追いかけたいなと 諦め悪く、また思ってしまった。


akane、2022年3月現在、28歳。28歳の素晴らしいプレイヤーなんて腐るほどいる。そして自分の楽器のプロ奏者も死ぬほどいる。20代の時間をほとんど指導活動に溶かしてきた。文字に起こせば起こすほど惨めになる。自分が心から好きで、心が震えて、それを演奏することができたら、人と比べることもなくなるかな。

なんか、書いてたら、演奏を「自分を救うために」求めてるんだなと気づいた。(でもきっと、救われきることはないんだろうな。上には上がいるし、ここまで花を開かせられなかったということは 少なからず才能は無いんだろうし)

人と比べてばかりの この空っぽの自分がいなくなりますように。自分の手で自分を救えますように。

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