#2 暗黒の短大時代

それまで吹奏楽部でぷーぷー吹いてただけの私が、高3で突然「楽器を続けたい」と言い出し、周囲の反対を押し切って短大の音楽学科に進学。

#1で前述したように、吹奏楽の強豪校でなかった高校だったので、たいして演奏技術がなく、まず短大の入学当初さっそくつまづいた。

周りの同級生は、短大といえど「音楽が好き」という人生を送ってきた子たちばかりで(当たり前だが)、吹奏楽の全国大会出場校出身の子、小学生からピアノも吹奏楽もやってきた子、など 当たり前に自分より演奏ができる子ばかりだった。とうの自分は、チューニングの音すら合わせられない。音感が皆無でソルフェージュは赤点、ピアノも弾けない。合奏曲が全く吹けず、まさかの合奏曲の追試 など、ありえない状態。先輩や先生からの(私が出来なさすぎる)苦笑いを今でもよく覚えている。

ただただ周りについていけず、落ち込みながら 落ちこぼれ続けた1年。

2年目、短大なのであっという間に卒業を視野に入れだし、周りの同級生は就活や、楽器店への面接など各々の忙しさに追われている中、私は全く就活をする気にならず、またしてもフワフワとしていた。

当時の唯一の救いは、母校の高校に教えに行く(というか暇なときに楽器を背負って顔出してばかりいた)ことが多く、顧問の先生の心遣いで少しばかり後輩の指導をさせてもらっていた。母校ということもあるが、これがすごく楽しかった。夏のコンクールで1年生だけの初心者チームの指揮者をさせてもらい、コンクールで棒を振ったこともあった。

そんな経験のおかげで、何もできないなりに「自分ができるもの」と自分を鼓舞するものになっていた指導活動が、卒業以降の目標となり「指導者でやっていきたい」と口にするようになった。今思うと、演奏があまりにも出来ず、大学の依頼演奏の合奏メンバーからも外れていたので コンプレックスになって逃げていただけだと思う。何をすれば上手くなるのか、とか 良い音色とは何か とか、全然考えていなかった。上手くならないのも当たり前だ。

ほとんど同級生が卒業し、少々の同級生と私で研究生として短大に残ることに。それが2年続いたので、実質 短大を出たときは4大生の卒業と同じような形になってしまっていた。その研究生2年間なにをしていたかといえば、大好きだった彼氏にフラれ 病んだり、同じ楽器で超絶上手な後輩が入ってきて いよいよ合奏から本格的に外され、教授に「お前は楽器ではやっていけない」と言われたので、大学に寄り付かなくなり 外でアマチュアの吹奏楽団と絡んだり、ずっとフラフラしていた。私を救ってくれていた高校の顧問からも「早く事務職に就け」と言われていた。とにかく拗ねて、逃げて、見放されたことばかり被害者ぶっていたなと思う。

そんな私が大学を出たきっかけは、ひょんなことから知り合ったプロ奏者の方から「自分の代わりに高校吹奏楽部の非常勤をやってみないか?」という声かけがあった。

とにかく指導がしたかった、そして音楽にかかわる仕事が欲しかったので 私でよければ是非お願いします!と返事をし、大学を出ることに。その時、22歳、秋。何も成し遂げられなかった自分の最後の救いだと、とにかく意気込んで始めた非常勤だった。

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