#5 価値観がコツンと切り替わった話

2017年頃から面識はあったものの、あまり話す機会がなかったミュージシャンの方と、ライブの共演で再開したのが2019年。akane、既にここで26歳。立派なアラサーである。

ライブというのが、自分の楽器の師匠が主催していたライブに少しだけ出演しないかとお誘いいただいたもので、そこに前述の方も出演されて再会を果たす。楽器は本当に細々とやっていた。ありがたいことに非常勤以外のレッスン業もチラホラあったので、レッスンをするために ある程度の維持は必要だったので練習はしていたが、本番は全くなかった。自分自身で作っていなかった、が正しいかも。

自分のやっている楽器は、正統派クラシックプレイヤーが大変多く、ジャズやポップスで活躍している方々は少な目。なので、楽器で世に出ていくためには「正統派なコンチェルトやソロ曲」をバリバリこなしていく必要があった。が、私はその道から逃げ、各種コンクールも出ず、「自分には縁のない世界だし、もうドレスを着てコンチェルトを吹くことは無理だ」と思っていた。(とはいえクラシックは大好きだしオケもよく聴きに行きます)

自分の好きなものといえば、中学の頃にハマったジャズロックのインディーズバンドやら、EGO-WRAPPIN'、久保田利伸など…でも自分の楽器はそんな音楽とは無縁で、自分は吹奏楽指導で生きていくんだ…結果を出すんだ…そんな思考だった。


が、それをアッサリとひっくり返したミュージシャンが冒頭の彼である。仮に、Aさんと仮称させていただく。

Aさんは同じ楽器のプレイヤーながら、ジャズやファンクをゴリゴリプレイするめちゃくちゃカッコいい人だった。衝撃だった。よく、音楽家が「幼少期に〇〇さんの演奏に出会って衝撃を受けた」とかよく言う、あれ。当時26歳の、遅すぎる衝撃である。

中学生の頃、担任の先生に「akaneさんは感情が豊かね」とかなりオブラートに包んで言われたことがあるが、要は感情の振り幅が激しく、嬉しいと悲しいが極端になりやすいところがあり 自分の弱点だと思っている。が、唯一その性格が功を奏しているなと思うのが「音楽にいちいち感動して心が震えること」で、Aさんの演奏を聴いたときも心が震えて涙が流れたのをハッキリ覚えている。

Aさんと交流することが多くなり、ジャンルを飛び越えて 自分の楽器で音楽をすることが本当にカッコよくて、彼のように演奏がしたい、と強く憧れた。というより、「諦めていたものをもう一度思い出した」の方が近いかもしれない。大学時代から、お前は楽器では無理だ と色んな人に言われ、ロクに自分の演奏と向き合わず逃げてきた。が、奥底ではカッコよく演奏する未来を捨てきれず、ダラダラとここまで来てしまったのである。


時を少しさかのぼって、21、22歳くらいから市内のビッグバンドに入り ジャズをかじりはじめ、その頃からぼんやりと「ジャズができたらな」と思っていた。ただジャズを勉強しようと意気込んでも独学ではチンプンカンプンで、身近にいたジャズの先生に習おうとするも 挫折した。ソロのコピーがいいよ、と言われて やってみてもアドリブができない。理論、難しい。みんな通る道なのだが、初歩的なところで早々に挫折し、結局アドリブが吹きたい と思いながら 手ごたえを感じず なんと28歳まで引きずることとなる。

そして、そんな一番大切な20代を迷走している私とは真逆に、20代を堂々と謳歌する同級生が眩しかった。とにかく羨ましかった。自身は努力もせずバカな話だが、ジャズができる・ビジュアルが良い・年上にかわいがられて仕事が舞い込む という 自分の憧れたものをすべて持っている同級のプレイヤーが羨ましくて、胸がとにかく嫉妬で焼けていた。

※このnoteは私の情けもかけられない怠惰な記録ですので、読んでいて「何もしてないお前が何言ってんだ」と感じるかと思いますが、何卒ご承知おきください。

そんな、「ジャズやってみたいけど・・・」みたいな状態でクラシックにも行かず、ジャズにも行かず、そもそも演奏より指導の仕事ばっかしてる、みたいな状態だったところにAさんの衝撃が加わり、もう一度楽器をちゃんとやりたい、、と芽生えた気持ちに、「ジャズがやりたい」と目標を立てた、また1つズレたところを設定してしまった自分を、のちのち回収していこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?