「冒険」がしたい大学生。 Vol. 1
プロローグ・オブ・マイ・バイオグラフィー
結論からいうと、現在大学三年生のわたしはニュージーランドに移住したいと考えている。就活と就職をしたくない。冒険したい。冒険をする人生はずっと憧れだった。これまではただの憧れだった。現在、大学三年生。人生の岐路に立っていると感じる。周りを見ると就活をする人、進学する人、それ以外の選択をする人がいる。なんにせよ、たいていの人は今後どうやって生きていくか自分で決めようとしている。たとえば「毎日泣くほど感動できる、生きていると実感できる生き方」。わたしが求めているのはそういう人生だ。
まず、「人生」の定義をはっきりさせる。辞書に載ってる意味じゃない。自分がこれまで生きてきてたどり着いた定義だ。人生とは、毎日の生活、日常、すべての行動、繰り返しの毎日の積み重ねだ。ゆっくり、時には急速に変化するものだ。その人生を感動できるものにしたい。安定より冒険がしたい。安寧の中に身をうずめるだけではいけないと感じる。つぎに、この一連の記事における「冒険・旅」の定義についても明らかにしておこう。冒険・旅とは、自分が出会ったことのない文化に出会うこと、その土地の人と深く交流することなどである。人生とはもともと冒険であり、旅であるべきだと思う。
さて、このままだと抽象的だからこれから四章に分けてどうしてわたしがこの考えに至ったのか説明したい。ここからはその第一章だ。
第一章 わたしという人。0~14歳
私は日本の一般的な家庭で生まれた。決して裕福とは言えなかった。しかし、精神的にはとても豊かだった。両親からの愛情のおかげだ。父親は朝早く出勤し夜遅くに帰って来た。母はそんな父のために、父のいる休日によくホームビデオを回して父との思い出を残してくれた。母がことあるごとに口にした言葉がある。「お父さんが働いてくれているおかげやで。ありがたいことやで。世の中にはきれいな水が飲めない子もおるんやで」こんなことだ。家にはつねに紙とペンがあってお絵かきができた。誕生日プレゼントは毎年本だった。毎回奮発してくれたに違いない。必ず、そのときの私にぴったりの本をくれた。これらが母の教育方針だ。身体だけでなく心も大切に育ててくれたのだ。
海外文化に触れさせることも、母の教育方針の一つであり母の嗜好でもあった。外国の街を歩きながら現地の人と触れ合うテレビ番組がある。それを一緒になって観た記憶がある。「外国にはこんなにきれいな建物がある」「日本にはない素敵なものがたくさんある」という漠然とした憧れが膨らんだ。「いつかここに住み!」「ここ行き!」という母の口癖もあり、放っておいてもいつか自分は海外に行くものだと思っていた。「フランスに行きたい」だの「イタリアに行きたい」だの、大した理由もなしに言っていた。それとはべつに、ファンタジーものの映画や小説が大好きだった。映画は『スパイダーウィックの謎』『ナルニア国物語』シリーズ、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ、『タイタンの冒険』『ホビット』『ヒックとドラゴン』を観た覚えがある。「スパイダーウィック」「ナルニア」「パイレーツ」はブックオフで原作や小説版を見つけて読み漁った。『ホビット』『ヒックとドラゴン』は一度見たことがあるだけで、当時はタイトルさえ覚えていなかった。のちに今までにないくらいハマってしまうことを、このときはまだ知らない。
小学校高学年のころから冒険やファンタジーの世界に没頭しはじめた。物語を観たり読んだりしているときは、——『ナルニア国物語』の著者クライブ・ステープルズ・ルイスの言葉を借りると——胸の中で「喜び」が沸き起こった。このあと、中学生、高校生と成長する過程でこの喜びがこじれ始める。第二章では理想と現実のギャップを嘆いていた頃について語る。
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