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韓国映画『同じ下着を着るふたりの女』ネタバレ感想/母娘の愛憎と逃れられぬ共依存

2021年制作(韓国)
英題:The Apartment with Two Women
監督、脚本:キム・セイン
キャスト:イム・ジホ、ヤン・マルボク、チョン・ボラム、ヤン・フンジュ
配給:Foggy
東京フィルメックス2022上映作品
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キム・セイム監督の初長編作。お互いを憎み合っているのに、離れられない母娘の関係性を描き出す。東京フィルメックス2022で上映され、2023年5月13日にシアター・イメージフォーラム他にて上映。

冒頭、下着を洗う娘・イジョンが映し出され、そこに電話をしながら母親のスギョンがやってくる。母親は、まだ乾いてもいない下着を履き、仕事に出かけていく。そんな母親の様子をじっと睨みつける娘。

自分勝手で娘に当たり散らす傍若無人な母親の姿は、いわゆる“毒親”そのものである。一方、娘はそんな母親を憎みながらも20代過ぎても狭い団地で母親と生活している。自立しきれていない娘にも問題はある。母娘は互いに憎み合いながらも共依存から抜け出せないでいる。

今のスギョンにとって大切なのは恋人で、その恋人も娘を持つシングルファーザーである。しかし恋人はまだまともな親で娘との生活も大事にしており、結婚をしたら、自身の子と3人で暮らしたいと思っている。しかし、スギョンは自分が一番可愛くて、自分を可愛がってくれる存在しか必要としていない。恋人の思いとは裏腹に当の本人は“母親”になる気はさらさらないのだ。

イギョンはイギョンで母親から逃れたいと思いつつも、どこか母親に対する期待を捨てられずにいる。自分を尊重してほしい、過ちを認めてほしい。娘に対してすまないことをしたと謝ってほしい。

怒って娘を故意に車で轢いたくせに、平然と車のせいにする母親を娘は訴えるが、娘の願いも虚しく母親は自分の過ちを認めようとはしない。そもそも、悪いことをしたと思っていないのだ。

イギョンは母親に対する怒りや悲しみの感情のぶつける先がわからず、母親のスカーフなどの私物を切り刻んで自分を落ち着かせていた。それを見つけた母親は、「お前は異常だ」と言う。イギョンは泣きながら「確かに私は異常だ。でもそれはあんたのせいだ。一度でいいから謝ってよ、どうして謝れないの」と訴える。

すると、母親は「ミルクがほしいのか、いつまでも赤ん坊みたいなことを」と怒り出す。挙句に「よもぎ治療の店で女の愚痴を聞かされ負の感情を引き受けているんだ、私が食わせてやっているんだから私の中に溜まっていくものを娘のあんたが聞くんだ」と、とんでもない開き直りをする。

本作に描かれている謝らない親の姿というのは奇しくも、『三姉妹』、『おひとりさま族』にも通ずるところがある。その中でも本作の母親の開き直り方は特に凄かった。

しかし、イギョンも同じように、話を聞いてくれた同性の同僚を自分の感情のはけ口にする。同僚が、「それを聞かされた私は誰に吐き出せばいいの」と尋ねるとイギョンは黙ってしまう。家を飛び出したイギョンを泊めたものの、何日も世話をする気はないとキッパリと同僚に距離を取られてしまう。結局誰かと依存しないと生きていけないイギョンの弱さ、甘えがそこに表れている。

東京フィルメックスのQ&Aでキム・セイム監督が言っていたが、同僚も家族とうまく行っておらず、家を飛び出し一人で生活しているという設定らしい。職場の上司から嫌がらせを受けている同僚は、着実に転職の準備をしており、不満を言う割に何もしないイギョンとは違う自立した存在として描かれている。

明確に語られる訳ではないが、母親自身も良い家庭環境とは言い難い環境で育ったことがうかがえる。しかし、それは母親という責任から逃れても良いという理由にはならない。母から子へ受け継がれていく負の連鎖。息がつまりそうな共依存関係から逃れるのはそう簡単ではないのだ。

母親役のヤン・マルボク、娘役のイム・ジホをはじめとした役者陣のリアリティのある演技と、手持ちのカメラなどを活用した緊迫感のあるカメラワークが息苦しい母娘の関係性を際立たせる。

あいち国際女性映画祭で鑑賞した『ギョンアの娘』の母娘の関係性も興味深かったが、本作の関係性もなかなか興味深かった。



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