記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

香港映画『年少日記』ネタバレ感想/贖罪と共に生きること

2023年制作(香港映画)
英題:Time Still Turns the Pages
監督:ニック・チェク
キャスト:ロー・ジャンイップ、ロナルド・チェン、ショーン・ウォン
第36回東京国際映画祭(2023)上映作品
アジア映画レビュー記事一覧

中学校教師のチェンは、ある日、教室で自殺を仄めかすメモを見つける。書いた生徒は誰なのか、本気でそう思い、悩んでいるのか。

チェンは話を聞き、調査をするが、生徒らはなかなか心を開いてくれない。また、チェンは私生活でも問題を抱え、離婚の危機にあった。

その中で蘇ってきたのは少年の頃の記憶である。学校ではいじめられ、成績も悪く、出来の良い弟と比べて叱られてばかりいる。

容赦なく叩き、なぜ出来ないのかと叱る日の怒りは、指導できない母親にも飛び火する。母親も味方になろうとせず、去っていく。必死に褒められよう、叱られないようにしようと頑張る兄の姿が痛々しく、苦しい。

とうとう親は兄を見放し、弟も自分が巻き込まれることを避け、兄の話を聞こうとせずまた明日とおざなりにする。そして、兄は1人屋上から飛び降りる。

回想シーンを見ていると、兄こそが主人公のチェンかと思うような描き方であったが、それはミスリードを誘う演出であった。主人公は屋上から飛び降りた兄ではなく、弟の方だったのである。

弟は親の期待を受けることに対し、プレッシャーもなくはないだろうが、それ以上に兄のように叱られたくないという思いは強かっただろう。

兄はどこまでも素直で、親のことも、弟のことも憎むような素振りはなかった。それでも、手を差しのべてほしかったはずだ、大切にされたかったはずだ。

辛くても、死を選ばなかった兄が死を選んだのは、見放されたからだ。どんなに叱られ、殴られようと、それでも親の目に自分は映っていた、親の期待に応えれば愛されるという望みがあったのだろう。苦しさと、親に対する怒りを感じる。

主人公は回想シーンの少年ではなくその弟だったという大きな種明かしの後、兄の死後のチェンと父親の関係性が描かれていく。弟は親の期待に応えることをやめ、グレていく。

そんなチェンが教師になることを選んだのは兄のような子供を救いたいという気持ちと、救えなかったことに対する贖罪なのであろう。正直、幼い弟が兄を庇ったり、そのことで父に意見するということはかなり難しかっただろう。それでも、何か出来なかったのだろうかという思いは残されたものについて回る。

父親は、兄を失った心の穴もあり、弟が離れていくこと、親子関係が断絶状態になることに寂しさを感じていたようだが…自身の加害性にどう向き合っているかまでは描ききれていないように感じた。

許されてはいけないことを子供に対してしてきた人間であっても変わることはできる。気づけることもたくさんあるはずで。チェン側の罪の意識を主軸に描いているからこそ、父との描き方の差が気になる。

生徒の、自殺を仄めかすメモをきっかけに、見ないふりをしてきた、蓋をしてきた過去の悲しみと向き合い始めるチェン。父への怒りは、病床の父を通して瓦解されたように映し出されている。

その次に向き合うべきは自分自身である。チェンは自分を許せずにいた。こんな自分が父親になっていいはずがないと思っていたチェンは、妻の妊娠を知り喜べずにいる。その姿にショックを受けた妻は家を出て行ってしまう。

毒親という言葉が広がり始め、毒親を描くともに毒親が子に与える影響、負の連鎖を描く映画も増えてきた。本作においても、チェンが抱えているのは兄への罪の意識と、自身も父のようになるのではないかという恐怖である。

妻は1人で抱えていたらどうすることもできないと訴える。本当にその通りだが、人が抱えているものを誰かに話すことも、抱えているものともに引き受けるのも、そう簡単なことではない。

チェンは、兄が亡くなったその場所で、兄の幻影と再会し、あの時言えなかった言葉を兄に伝え、心の荷がおりる。映画というフィクションだからこそ描ける救済に観客の心も揺さぶられる。

子役の切なそうな瞳に吸い込まれ、これは泣くしかないと思ってしまうようなずるさも感じるが、それ以上に自分の幼少期と重ねてしまい、涙を堪えることができなかった。

私の父も、容赦なく子供に手をあげる人であった。(母には手をあげなかったが)バイオリンを習っていたが、練習の際に幾度となく叱られ、平手打ちをくらった。当時はメトロノームが悪魔の機械に思えた。怒るたびに父は、「やめてしまえ」と怒鳴った。

けれど、本当にやめてしまったら父から見放されてしまう恐怖がどこかにあったのかもしれない、とこの映画を見て思った。私は不器用な人間で、訳もわからず自分のことを許せないでいる。いつかあの頃の私も、今の私も抱きしめたいと思いながら自己嫌悪の沼でのたうちまわっている。

見出し画像© 2023 ROUNDTABLE PICTURES LIMITED

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?