映画『たまらん坂』ネタバレ感想/朗読劇のような不思議な空気感
朗読劇のような、ドキュメンタリーのような…他に味わったことのない、何とも不思議な映画であった。そのような映画になったのは、本作が武蔵野大学の研究としてスタートした企画であったということである。
武蔵野を舞台にした黒井千次の短編集『たまらん坂』をもとに大学のゼミの研究で映画化をしようという企画から始まり、当時大学生で製作に携わっていた渡邊雛子が製作を進めていくうちにヒロインとなり、黒井千次の短編の映画化にヒロインのアイデンティティにまつわるドラマに転じていく。
ヒロインが黒井千次の短編集『たまらん坂』に出会い、古舘寛治の朗読と映像で短編の内容が映し出されていく。そのストーリーから突然ヒロインの話に移り変わるのではなく、幻想的にゆらめきながらヒロインの話に移り変わっていく。
女子大生のひな子は、母を亡くし父と暮らしているが、2人の間には何とも言えぬ距離感がある。そして、毎年母の命日には、父と墓参りに来ていたが今年は父が飛行機が欠航していけないと言う。一人で墓参りに行ったひな子はそこに一輪のコスモスが供えられていることに気づく。誰が母の墓参りに来たのだろうか。
朧げな母の記憶と共に、ひな子はかつて過ごした谷保を訪れ、幼少期過ごした場所で叔母に出会う。叔母から谷保にまつわる伝承を聞き、自身の母への記憶と融合していく。
この映画を見て早速原作本を買い読んでみた。原作の『たまらん坂』をそのまま朗読していたのもあり、映画の雰囲気と原作の雰囲気はとても似通っていた。「たまらん坂」は漢字で「多摩蘭坂」と書き、国立市と国分寺市の境に実際にある坂である。
「多摩蘭坂」が、実は「堪らん坂」なのではないかと思った主人公がその由来について調べていく。このような由来が本当のところであろうという事実に辿り着くのだが…途中でもしやこうなのでは?と期待していた由来ではなかった。時に真実を知ることはがっかりした気持ちにさせるものだ、というところで小説は終わる。
その小説の内容とその後のひな子のストーリーはあまり似通っていないが、朧げな母の記憶を辿ってかつて住んでいた立川市の谷保に向かう。場所によっては「やほ」とも「やぼ」とも言う。野暮用の語源となったという説も。そのような民俗学のような土地への探究と自身のアイデンティティを重ね合わせる視点は興味深い。
しかし、ドラマとして見るとパッとしない。むしろよくわからない部分も多い。しかし、ドキュメンタリーのような朗読劇のような…なんとも言えない独特の空気感は嫌いではない。小説を読みながら脳内に浮かんできたイメージの羅列のような気もする。どんな映画だったのか上手く説明できないのに、イメージだけは残っているような。
私の中でイメージとして残ったのは、斜め上を呆然と見つめるひな子の横顔と、坂を駆け降りていく小沢まゆの後ろ姿である。奇しくも私が見に行ったのは舞台挨拶の回で、渡邊雛子、小沢まゆのご両人が登壇し、色々お話が聞けて面白かった。
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