ドキュメンタリー映画『国葬』感想/違和感の背後にあるもの
1953年、スターリンが死去し、国葬が行われた。その時のアーカイブ映像がリトアニアから発掘された。そのアーカイブ映像を再構築したのが、本作である。本作の内容に触れる前に、スターリンについてみていこう。
グルジアに生まれ、民族的にはグルジア人であったスターリンは、マルクス主義に傾倒し、革命を起こし、崩壊した帝政ロシアの後にソビエト政権を主導したレーニンのもとで参謀として活躍した。
1924年のレーニンの死後、後継者争いを制したスターリンは、指導者となり五カ年計画を打ち出す。五カ年計画により、強制的に集団移住させ、厳しい徴税が農民に対し行われ、各地で反対運動が起こった。当局は反対分子(とみなした者)を強制収容所に送ったり、処刑したりした。これが「大粛清」である。
セルゲイ・ロズニツァ監督のドキュメンタリー映画『粛清裁判』は、まさにこの大粛清のなかで行われた見せしめ裁判の様子を映し出したものである。(この作品についても別の機会に詳しく触れたい)
またそのようなソ連の体制を再現してみようと試みたのが“DAUプロジェクト”である。日本で公開されたのは『DAU.ナターシャ』、『DAU.退行』である。ロシアのウクライナ侵攻の影響もあるだろうし、今どうなっているのかはよくわからない。
五カ年計画の政策と、大粛清などで引き起こされたのが、ホロドモールである。ウクライナ語で飢餓を意味する「ホロド(holodo)」と、絶滅・疫病などを意味する「モル(mor)」を合体させた造語であり、飢餓による殺害を意味する。
正確な統計がなされていないため、ホロドモールの犠牲者の総数は未だに不明である。『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』は、この飢餓による虐殺を世界に知らしめようとたたかうイギリス人記者の実話をもとにした映画である。
スターリンに話を戻すと、1924年から亡くなる1953年まで指導者として君臨していたスターリン統治時代は、第二次世界大戦から東西冷戦と激動の時代であった。ソ連当局が行ってきたことの一部は隠蔽され、後にソ連当局の手によるものであったと明かされたものもある。しかし、いまだに明らかになっていないものもあるだろう。
後に、ソ連当局の手によるものであったと判明した事件の一つにカティンの森事件がある。カティンの森事件とは、ポーランド軍将校、国境警備隊隊員、警官、聖職者などが虐殺された事件である。ナチスドイツによるものだとロシア側は主張し、何度も再調査が行われていた。
1990年ソ連の関与を決定づける文書が見つかり、ソビエト連邦崩壊後の1992年、ロシア政府は最高機密文書を公開し、ソ連当局が出した射殺命令などが明らかになった。この事実を知り、アンジェイ・ワイダが映画化したのが『カティンの森』である。
さらに、スターリンは、レーニンと自身を崇拝の対象となるように仕向けた。自身の名のつく土地や建物をつくり、ソビエト連邦の国家にスターリンの名前を入れた。その集大成が自身の国葬であったといえよう。
さてさて。ここでやっとドキュメンタリー映画『国葬』の話にうつろう。鮮やかな花に囲まれたスターリンは、レーニン廟に安置され、市民や軍人らがこぞって会場を訪れる。それだけでなく各地で追悼集会が行われ、アナウンスでは偉大な指導者であり、国父のスターリンを失った大きな喪失を国をあげて嘆き悲しんでいる。群衆の中には涙ぐむ人も。それも少数ではない。
ただ国葬の様子を映しているだけであるのに、その光景はどこか異様に映る。スターリンに対する崇拝っぷりにソ連という国自体が一つの宗教家のようにまで思えてくる。何より全てが虚像のようで、それに群がる群衆が恐ろしく見えるのだ。
先述したように、スターリン統治下は、第二次世界大戦、東西冷戦と激動の時代ではあったが、あまりに多くの人が投獄され、虐殺されてきた。そして、全てが明かされているわけでもない。
負の遺産は、誰が責任をとり、誰が精算するのか。セルゲイ・ロズニツアはある程度の距離感を保ちながら体制を批判する。しかし、ロシア国内では、体制を批判的に描きにくくなりつつあり、映画のプロパガンダ色は強くなっている。
そのなかで、キリル・セレブレンニコフ監督は、高熱にうなされ、妄想と現実の間をさまよう主人公を通してロシア社会に対する風刺を込めた『インフル病みのペトロフ家』や、1980年代のロシアを舞台にロックに憧れ、自由を求めた若者たちの姿を描いた『LETO レト』を制作。
キリル・セレブレンニコフ監督は、劇場の資金を着服した疑いで、自宅軟禁となり、その時に脚本を書いたのが『インフル病みのペトロフ家』だという。その後、有罪となり出国も禁じられていたため、『インフル病みのペトロフ家』はカンヌ国際映画祭で上映されたが監督は参加していない。
刑期を終え、出国可能になったキリル・セレブレンニコフ監督はロシアを脱し、ドイツに移住する。そして『チャイコフスキーの妻』でカンヌ国際映画祭に参加し、ロシアのウクライナ侵攻を批判した。
『国葬』の話からかなり脱線してしまったが、セルゲイ・ロズニツァの作品は、ロシア、ウクライナの情勢、歴史を知る上で私にとって非常に興味深いものである。作品から様々な方向へさらに知識を深めていくのが面白い。故に脱線してしまうのだが…。他の作品についても脳内をうまく整理しつつ書いていきたい。
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