見出し画像

新メディア時代の戦略とは? 私的フリーランス論について語ってみた

「赤石さんって戦略的ですよね」、とたまに言われる。

フリーランスになって4年、戦略的に人生設計を組み立てていると世間からは見えるらしい。多角的に仕事をしている感じが、そう見える理由なのだろう。戦略的って言われると、切れ者っぽいしベリーグッドなのだが、本当は戦略なんてものは何もなかった、というのが真実である。

週刊文春を辞めるとき、何をしようかとか、自分が何になりたいのかすらよくわかっていなかった。逆に週刊誌の刺激的な日々から離れることについての恐怖心のほうが強かった。

そこで辞職するまでの半年間、自分に何が出来そうか書き出す作業を毎週行っていた。

記者だから、まず物書きを目指すのがスタンダード。でも、無名の物書きが食えるのか? と考えると、いかにも心もとない。とりあえず無理やりでも本を出さないと、物書きとは言えないなと考え、書籍の企画書をいくつか書いた。

あと、映像も面白そうだなと考えて、映像化できそうな企画もいくつか考えてみた。

考えるだけなら無料だし、意外と遊びとしてもビジネスアイデアを考えることは楽しかった。

本を書いた、とはいえ食えない可能性がある。じゃあ週刊誌スキャンダルには経験上詳しくなったから、危機管理コンサルが可能かも? ちょっとマニュアルを作ってみるか、とさらに一つ企画書を書いてみた。

他に何ができる? と考えたときにSNSはやらないといけないなーと考えtwitterを始めてみた。

そしていざ退社、となった。が結局、あれもこれもマネタイズに至る過程が難しく、自分がすぐ手掛けられる仕事は雑誌記事だったというのは当然の帰結でもあった。映像も危機コンサルも、アイデアはあっても経験がない訳だからビジネス軌道に乗せるのは時間がかかる。

更にはSNSでも現実を知らされることになった。

自分は週刊誌業界ではまぁまぁ知られていると思ったりしていたが、世間では知名度〇。フォロワー数は、いまでもそうだがなかなか伸びて行かない現実に苦しんだ。それも勉強か、と思い直して今でも細々とTwitter、Facebook、noteを続けているという感じである。

多角化をいったん横に置いて、記事執筆に邁進する日々。そのうち元週刊誌記者という噂を聞きつけて、いくつかの企業から危機コンサルのセミナーなどの仕事が舞い込むようになり、1年前に作った危機管理のレジュメが活きたりしもした。気分転換程度の仕事だが、文春時代の準備はけっして無駄にはならなかったと実感した。

あるテレビ制作会社から、定期ギャラを出すので企画会議に参加して欲しいというオファーを受けたこともあった。

1年くらい経つと、週刊誌出身の強みとは「何か」ということが朧気ながらわかってきた。週刊誌記者時代は毎週5本の企画を出していた。ナマネタから企画ものまで、企画を考えるのが大きな仕事の一つだったので、企画を考えるということが身体に染み付いているのだ。世間から、その「企画力」を、期待されることが多くなっていたのだ。

一方で週刊誌記者の悪いところも自分で感じるようになった。スクープを書くが、雑誌を売る実務は何も知らないというのが記者。つまりは、ビジネスをしたことがないということである。僕はサラリーマン経験があって多少はビジネスをしていたが、それでもビジネスが下手だなと感じる瞬間が多々あった。

何が問題なのか?

要は週刊誌記者は唯我独尊で仕事をしてきいるので、嫌なことはやりたくないし、他人に使われるのが苦手という、著しく社会性に欠ける部分があるのだ。

前出の制作会社と打ち合わせしたときのこと。制作会社からは社会派企画を多く出して欲しい。それを僕たちはテレビ局などに売り込みますので、と言われていた。

そこで、僕が許永中の企画を提案したところ。

制作会社「え? キョエイチュウって誰ですか?」

と言われた。

僕は生意気にも「そんな基本情報も知らない奴が、社会派企画を形に出来る訳ないじゃん」と思った。更に同じレクチャーを何回も求めてきたことに苛立ち、「もう止めましょう。残りのギャラもいりません」と、その会社の仕事全てを蹴ってしまった。

金か面白さか、という選択肢が現れたときに、後者を取ってしまいがちなのが記者という生き物なのかもしれない。

ただ、今冷静に考えるとビジネスマンなら違うやりかたをしただろうなとも思う訳である。記者というお山の大将仕事から脱していかないと、取引とかビジネスに適応するのは難しい。

1年余り制作会社とはいろんな協議をしてきて、4万円くらいだけを得たというのがその仕事の総括である。ビジネスとしては失敗といえば失敗である。

そんな経験もありつつ、いろんな分野に手を出したものの、結局は書く仕事がいちばん目論見が立つということで、フリーランスになって3年間は記事執筆をメインにして行くことになった。韓国、サッカー、政治と書いていくなかで、そのテーマ選びもアザトイとも言われたが、全て行き当たりばったりで決めたものばかりである。

韓国は文春時代取材をしていたので続けたかっただけ。サッカーは趣味、政治はフライデー時代政治班なので今も興味があった。それだけである。

そのターンが変わったのが4年目だった。

フジテレビからドラマ企画の話が持ち上がり、YouTube企画も提案されるなど、何か芽が出るかもと感じる仕事がいくつか出てきたのだ。芽を感じたことは大きな前進だが、まだ海のものとも山のものともわからないのも事実。以前のnoteでも書いたように、新しい事柄はいつだって困難だし、成果が出るまでの産みの苦しみはまだ続いている状態である。

つまりは、いろんなところに野放図に手を出し、たくさんの失敗もしたが、いくつかの仕事がいまでも手元に残った。その残った仕事を世間が見て、最初からそれをやる戦略だったんじゃないかと誤解をしてくれた、というのが戦略らしきものの正体なのかなと思う。

もし戦略と言えるものが一つあるとしたら、知人の会社経営者に「5年後の種を撒くことが経営には必須。フリーランスも同じだと思います赤石さん」といわれた言葉かもしれない。

現状維持は失敗だとマネジメント論などではよく語られるが。使用人として働く方からしたら何言ってんだ、経営者が儲けたいからそう言うのだ思っていた。しかし、フリーランスになると現状維持が怖いという感覚が少し理解出来るようになった。だから種を蒔く必要がある。

会社経営者の言葉を聞いて、文春を辞める時からいろんな種だけは撒こうと決めていた。

一方で、メディア不振と言われるなかでフリーランスは大変でしょと声をかけられることも多い。

どうですかね。

なんとなく曖昧な答えをしてしまうのは、その質問が嫌いだからだ。

仕事はいつだって楽しい。それが本音だ。だって自分で選んだ仕事だからそうでなきゃウソだろ。メディア不況? そんなの20年前からそう言われていた話しだし、フリーランスを選んだの自分の選択なのだから悲観しても仕方がない話で。大変か、大変じゃないかを論じることには意味はない。会社員でもフリーでも人生はいつだって大変だぜ、といつも心の中で呟いていた。

絶望感に浸るよりも、未来について考えたほうが人生は楽しい。

育たない作物もたくさんあるけど、育つ可能性もある作物もちらほら。そんな過程を楽しめば失敗しても前向きになれるものだ。そう、やれることやって駄目だったらキッパリ撤退する、というのが僕のたった一つの方法論なのだ。

”失敗は成功への道しるべ”と考えて、今年も何に種を撒くか、考えて行きたいと思う。

(赤石)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?